豊受神社

南房総市冨浦町南無谷2103 (令和6年1月27日)

東経139度49分45.84秒、北緯35度03分41.42秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
JR内房線冨浦駅前の国道127号線の冨浦駅丁字路から北上すること2.3kmで二股に分岐する所を右に入ると正面に鳥居が見えます。目印はバスのりば「なむや」です。

国道127号線沿いにあったのに、今まで気が付いて無かったのが不思議な神社。二本のイチョウの木と背後の山とのバランスが取れてる境内です。二週連続でまたしても西南戦争で亡くなった東京鎮台兵卒の碑と遭遇するとは思わなかった。

御祭神 豊受比賣命

由緒 延喜元年(901年)二月創建。

バス亭なむや。左は国道127号線。

神社入口

鳥居と社号標

石灯篭と明治三十二年六月吉日奉納の家内安全の碑。

境内。海岸まで200mと近いからか、塩害の影響でイチョウの葉の色づきは悪いそうです。

今は使用されてない井戸と手水舎

弘化五年(1848)戌申造立の石灯篭。

神輿倉かと聞いてみたら山車倉だそうです。神輿は拝殿内に収まってるとか。

子供神輿碑

狛犬と拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

年代石工とも不明の狛犬さん。石灯篭と同じ頃なら弘化年間かな?

天水桶

向拝と神額

鳳凰?

余り見掛けない形状の屋根 飛び狛の位置に蓮の様な花

本殿


境内社。鳥居の前で初午行事を行うのだそうです。

征清役の文字から日清戦争記念碑と判断出来る。維持 明治二十九年十一月の日清戦争記念碑。

明治二十九年五月建立の日露戦争記念碑。

安房国平群郡南無谷村出身で東京鎮台兵卒の和泉澤武助さんが西南戦争に出征して、明治十年三月十二日に鹿児島で戦死した事が書かれた石碑ですが、昭和三十六年十二月の再建碑です。