木更津市畑沢1(平成19年2月4日)
この神社は館山自動車道終点から国道16号線で西に向かい、畑沢信号で左折、すぐの信号で又左折し、90号線に入ってまたすぐ右折、10mくらいで左手に鎮座しています。浜ヶ谷の丘陵上に境内があり、階段登りは結構辛いものがある筈ですが、途中には庚申塔や石碑、狛犬などがいて写真を撮りながらの登りで、又木々に囲まれた周囲の雰囲気がとても気持ちが良く、知らないうちに境内に着いていました。境内も古社に相応しく落ち着いた佇まいで、社殿がすっきりと建ち、日本武尊が富士嶽を遙拝したという遙拝所も何回も再建はされたのでしょうが、未だ残されていました。
御祭神:木花開耶姫命、瓊々杵尊、大山祇命、水象女命
祭礼:7月17日(おぶり)
由緒:旧村社で、創建は定かでないほど古く、伝承では日本武尊が東国に来られたおり浜ヶ谷の山嶺に参籠し、富士嶽を遙拝し、鎮撫祈願の霊殿を奉祀し勧請したのがこの社の始まりと伝わっています。後に、治承4年(1180)源頼朝が北上して下総に向かう途中、この社に武運長久を祈願したと伝えられ、その後、平家を破り鎌倉に開幕した際に、お礼の気持ちから建久9年(1198)に今は奥宮に置かれた秘仏・木像観世音菩薩立像を、浅間神社に寄進したと伝わっています。
社号標 | 入口左脇に祀られた 庚申塔、青面金剛像など |
入口の灯籠には追いかけっこをしているように、風に鬣や尾をなびかせた元気な狛犬の姿が見えます。 | |
江戸時代も末期の慶応2年(1866)生まれの江戸狛犬です。 肉厚の垂れ耳で、やや尖った顔、鳩胸気味の身体には、 長い鬣がまとわりつき、尾も元は大きく渦巻き先を左右に流してあります。 落ち着いて堂々とした良い狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(慶応2年(1866)5月大吉祥日建立) | |
階段途中左側に鎮座する境内社・石尊大権現?、拝殿と本殿 | |
末社・金刀比羅社 | 参道の様子 |
階段も最終段階に入りました、境内も近そうです。 あっ、その上には縦置きの古そうな子が見えます。 気合いを入れて、頑張りましょう。 |
右手からは青面金剛像と三猿が見守っています。 |
境内下にいる宝暦9年(1759)生まれ、この社で最古参の狛犬です。 縦置きで、阿は角を、吽は宝珠を付けています。 18世紀中頃の狛犬の特徴を全て持っている狛犬で、顔は正面向き、耳は小さく張り付き、 左右に流れた鬣は緩くカールされ、背中に流されたストレート部分は長めです。 尾は天狗の葉団扇状態で垂直に立っています。 踏ん張り気味の前脚は短く細めで爪なども殆ど線書きで表現されています。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(石工・櫻井 長四郎 宝暦9年(1759)6月吉日建立) | |
境内左の末社と遙拝所 | ご神木と結界 |
境内入口には石で龍の彫刻が施されていました。 | |
境内入口の垂直蹲踞気味の狛犬。 天保7年(1836)生まれですが、犬の「お座り」をしたときの恰好によく似ています。 この狛犬、工夫して一生懸命造っているのはよく分かりますが、線が少し堅い様に見受けられます。 阿は宝珠を、吽は角を付けています。逆光でここには載せていないのですが、 階段の左右にいるので下から見上げた角度が綺麗なように造られた狛犬かも知れません。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(天保7年(1836)5月吉日建立) | |
拝殿 | 拝殿内の様子と本殿正面 |
本殿覆い屋 | 御祭神 |
境内右奥の境内社には剣・鎌等金属で造られた絵馬が奉納されていました。 | |