水神社

木更津市小浜131(平成19年2月4日)

 この神社は90号線・木更津富津線の小浜信号から東に入り、地蔵堂前を通って尚も進むと左に鎮座しています。地図には「浅間神社」と記載されていますが、鳥居に「水神社」という額が掲げてありますのでそちらの名称を使用しました。
 少丘陵の中腹に境内があり殆どが階段の参道で、登りは辛いですが気分は爽快です。又、境内一段上に浅間神社の祠が別に祀られていました。
 ここで最も気になったのが境内左に建てられた「漁業権放棄の碑」でした。これは八幡製鉄が、1961年に君津地区進出を、1963年に木更津地区進出を決め、まず1965年に君津地区の遠浅の海岸が埋め立てられ、翌1966年に畑沢地区の埋め立てが許可されたため、1967年に畑沢漁業協同組合、小浜漁業協同組合が相次いで漁業権を放棄した事を記したものでした。ここは小浜漁業協同組合の「漁業権放棄の碑」ですが、畑沢漁業組合は浅間神社鳥居脇に碑を建立したそうです。先祖代々この海で生活の糧を求め、海と共に生きてきた漁師さんたちが、漁業権を放棄するのは、どんなに辛かったであろうと想像すると胸が締め付けられます。
 この社は小浜地区の産土神社ですが、案内が無く、創建・由緒は不明です。御祭神は木花開耶姫命、瓊々杵尊、大山祇命、水象女命、稻倉魂命でしょうか。

神社入口 参道の二の鳥居
拝殿 末社
拝殿内の本殿三社
水神社、浅間神社、稲荷神社社殿
拝殿脇障子には元気な龍の木彫
天保8年(1837)生まれの江戸狛犬です。
阿も殆ど口を開けず、思慮深そうな顔つきで、やや斜め前方を眺めています。
鬣や尾のカールが普通の江戸流れより大きく、その先は殆ど下には流さず、背中上方に流れています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保8年(1837)?月吉日建立)
境内左脇から登っていく
浅間神社入口
浅間神社の祠
漁業権放棄の碑 境内の様子
昨日の節分会の名残でしょうか。
境内には竹に注連縄が架けられ、
机や飲み物の残骸が置いてありました。

 補償金が出た昭和36年迄は、浦安から富津まで四十の漁協があり、一万七千人の漁業労働者が居たようです。京葉コンビナート建設の為、海を埋め立てられ、海を失った漁民達は漁協を解散し、一万数千人が漁業を捨てました。そして得たのが、補償金。多い人で1千万円、普通7,8百万円だったようです。突然入って来た大金がかえって災いし、補償金悲劇が相ついだ。と、当時の新聞が書き残しているようです。
 朝日新聞の記事「姉ヶ崎漁協組合員だったAさんは「カネがはいったらハワイに行くんだ」と楽しみにしていたが、補償金が出た36年9月、木更津芸者のとりこになった。他の客と芸者をせり合いながら一年間、芸者置屋に「いつづけ」して、補償金を全部なくした。自分の家に戻り、たばこ銭をもらいに親類を歩きまわっていたが、二年後に死んだ。」
 又、補償金目当てに群がる暴力団の賭博にはまり、まきあげられたカネは数億とも数十億とも言われています。