大原神社

君津市平山(平成18年12月17日)

この神社は久留里線平山駅東200m程の辺りに鎮座しております。田圃の中に鎮守の杜が茂り、左手が神社入り口です。

入口より120m程離れた所に建つ一の鳥居。かっては410号線まで参道が続いていたようですが、久留里線の開通により参道を掘り下げられ、今少し迂回する必要があります。

鳥居の左側に立つ石碑は大原台土地改良区「取水記念碑」。台地である大原は農業用水の確保が困難であり、慢性的な干ばつに見舞われ、人々の生活は困窮をきわめたと伝えられる。江戸時代後期において亀山の稲ヶ崎地先を取水口として、平山用水が作られたが、その後も農業用水確保の為多くの努力が行われたようです。しかし米余りと言われ減反政策が進められ田圃が遊んでいる所も見受けられます。江戸、明治の日本人が見ればきっと涙を流すに違いありません。

神社の為だけには橋を架けられなかったのでしょう。通行止めとなっています。

神社全景。

神社入り口。

拝殿正面。

とても大きな本殿。

本殿屋根の下に居る木鼻。ガラスケースに収められています。

神楽殿。

境内隅の末社。

道祖社

「久留里記」という人皇第三十九代弘文天皇の事績を記した古記録などによれば、室町時代文明年間(1469〜1486)以前 に奈良の春日神社から遷宮祭祀し、氏神様として郷人から深 く崇敬され今日に至っている・・・・ここにも壬申の乱に敗れた大友皇子が逃れてきたという伝説が残っているようです。近くを小櫃川が流れていますが、そもそも小櫃が大友皇子の亡骸をおさめた棺からついた名前だと言う。また小櫃川の支流「御腹川」は、大友皇子が腹を切って自害したところから名づけられたという。