白山神社

君津市俵田1452(平成18年12月17日)

 この神社は久留里線・小櫃駅と俵田駅の中間あたり、国道410号線に面して鎮座しています。
 御祭神は、『君津郡誌』に、「大友皇子」と「菊理媛命」とあり、また、神仏習合の考えから、明治初年まで境内には神宮寺が置かれ、「白山大権現」と呼ばれていたそうです。毎年正月29日には、氏子より寄進された大般若経を神前で転読したともあったといいます。
 菊理媛命が御祭神となったのは、明治の神仏分離によって「白山大権現」が「白山神社」となった際に、「白山神社なのだから、菊理媛命を祀らなければならない」といった考えからだそうです。
 「大友皇子」は、天智天皇の皇子で、壬申の乱で天智天皇の弟の大海人皇子と争い敗れ、滋賀県大津付近の「山前」というところで自害したことになっています。その大友皇子が、蘇我赤兄等とともに小櫃地区に逃げてきたという伝説がこの地に残っているのです。「小櫃」という地名自体が、大友皇子の亡骸をおさめた棺からついた地名だといわれています。その伝説によれば、大海人皇子に敗れた大友皇子は、海路房総に逃れ小櫃地区俵田に御所を営みました。けれど、この地まで追ってきた大海人軍によって追い詰められ、ついには自害に追い込まれました。白山神社の北を流れる小櫃川の支流「御腹川」は、大友皇子が腹を切って自害したところから名づけられたといわれています。又、白山神社(旧田原神社)は、後に、天武天皇となった大海人皇子の命により、大友皇子の霊を鎮めるために建立されたとも伝えられています。因みに小櫃末吉地区にある末吉神社には、大友皇子に従って逃げてきた蘇我赤兄が祀られています。(「君津市の歴史」参照)
 現在の祭礼日は9月29日に近い前の週の日曜日に執り行われ、獅子神楽等が奉納され、とても賑やかなお祭りとなるそうです。
 また、社地の右側から奥が県の指定文化財・白山神社古墳なのですが、4世紀の築造で全長88mの前方後円墳です。以前は大友皇子の墓だと言われていましたが、現在はこの白山神社古墳の奥にある円墳が大友皇子の墓だと言われ、明治31年の発掘時に、海獣葡萄鏡、直刀、鉄族などが出土したといいます。

神社入口 参道の二の両部鳥居
随神門 境内の様子
文化2年(1805)生まれの尾立ち狛犬。
阿吽共に歯をむき出してチョット恐い感じがします。
又、双方共に頭上に穴がありますが、阿の穴は小さく綺麗で、吽の穴は大きく凸凹しています。
前脚の筋肉が発達し、この時期の狛犬としては鬣や尾の装飾が凝っています。
(文化2年(1805)9月吉日建立)
社殿脇から
拝殿 本殿
本殿縁下でも狛犬が走り回っていました。
本殿前の石造神殿狛犬。
御宝前という言葉や、奉納者名が五左ヱ門という点から考えると、江戸時代の建立と思えます。
暗くて柱の影で、中々撮影しにくい場所にいるのですが、おっとりとした、
鬣や尾の流れが滑らかで綺麗な、良い出来の狛犬と思われます。
境内から見た随神門 境内社・水天宮
境内社・浅間神社 境内社・天神社
三猿が彫られた庚申塔

狛犬の拡大写真と
古墳の説明はこちらで