香取市山倉2347-1 (平成22年12月5日)
東経140度32分31.28秒、北緯35度47分14.31秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道114号線が東総有料道路と交差する地点から南西に1.6km程の地点に在ります。
この日は年に一度の鮭祭りの日。参道は遥か手前から露店で一杯で、神社に着く前から楽しい雰囲気でした。一の鳥居に着いた途端、小学生の鼓笛隊のパレードが鳥居を通過し祭りを盛り上げていました。参拝客も多く、この辺りでは比較的大きなお祭りである事が想像できます。
教育委員会の説明はこちら。
御祭神 高皇産霊大神・建速須佐男大神・大国主大神
由緒
社伝によると、創建は第52代嵯峨天皇の弘仁2年霜月初卯の日で、今から1170年前の事である。当時この東国地方に厄疫猖獗を極め手の施しようもなかったが、霊験あらたかな三神を勧請鎮斉して熱心に厄病退散の祈願を込めた効あって病魔漸く退散したとある。例祭の近づく頃ともなれば附近を流れる栗山川に鮭が溯るので、この鮭を犠牲として神前に献じたことから、古来より龍宮神献の御鮭と語り伝えられている。風除けの神・鮭の神として他県にまで喧伝された所以である。
(以上 神社の広場 神社探検隊 による)
弘仁2年(811年)の創建で、大六天王社の総社として古くから人々の信仰を集めている。現本殿は安永7年(1778年)に建立されたもの。江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。
ウィキペディアより。
栗山川は古くから太平洋側のサケの回帰の南限の川として知られており、上流の旧山田町(現・香取市)には、弘仁2年(811年)の創建と伝えられるサケの神社、山倉大神がある。
ウィキペディアより。
神社入り口
旗の閂を利用した珍しい狛犬
幟
参道。右側は宿泊施設で、昔の賑わいが偲ばれます。
鮭の護符売り場。鮭は災いを「避け」るのだそうだ。
鮭と鯉。神輿の前に、下には鯉、上には鮭が奉納されていました。
二の鳥居
蹲踞でも構えでもありません、青森県では見かけますが関東では珍しい。拡大写真はこちら。 | |
(慶応元年(1865)乙丑11月吉日建立) |
鮭の碑
力石と石碑
神輿石碑前の右狛犬 | |
手水舎。戦前は東京からも講を組んで来ていたようです。 | |
常夜燈 | |
境内
神輿殿 | |
拝殿
木鼻 | |
拝殿屋根
拝殿前の江戸流れ。狛犬よりはライオン的な風貌である。拡大写真はこちら。 | |
(明治32年(1899)5月吉日建立) |
神額が大六天なのは、神仏分離令が発令される前は本尊が大六天であったため。
ウィキペディアによれば、神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座して御祭神を高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神としたとあります。戦後再び大六天王を合祀したのでしょうか。
本殿右
本殿右壁
御神木
社務所
天満宮 | 八幡神社と古峯神社 |
龍神宮 | 子安神社 |
青面金剛
以下鮭祭り
スタート。杖の金属音と、何処(多分建物の中)からか聞こえてくる板を叩く音で行列は進みます。
天狗
芋とリンゴ
謎の箱
鮭
参道を行く
拝殿内部
向拝の天狗 | 錫杖 |