戸田神社

香取市米野井1 (令和5年8月6日)

東経140度35分14.91秒、北緯35度49分22.38秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
地方道55号線と県道114号線が接触する交差点から55号線を北に320m進むと、道路左側に鳥居が見えます。

旧山田町では最古の神社だが、何故か狛犬さんの居ない神社でした。この辺りは水に恵まれた土地だと思っていたが、そうではない事が石碑を読んで判明した。これでこの辺りの神社にこの類の石碑が多い理由が分かった。

御祭神 大国主命

由緒
御創建は、奈良時代・天平八年九月(西暦七三六年)久都伎直日奉真人春丘なる方が崇敬篤く社殿を造営、出雲国・杵築大社の荒魂を勧請し、神峯寶に御剣を添いて奉納した(刃分の御剣と云う)と伝えられる。
建長五年(西暦一二五八年)六代・千葉介頼胤が社殿・鳥居・瑞籬・攝社・末社迄改築、厳然たる鎮護の霊場国家安眠も産土神とされ、同年九月二十日を最初にして、天下泰平・万民帰伏の為に流鏑馬を射て流鏑馬祭も行われていた記録が残されている。(千葉介頼胤が十四歳のとき)
米野井城主は神田三十石を寄進し、代々の城主が戸田大神を崇敬した。現在の社殿は、正徳五年(西暦一七一五年)の再建といわれ、幾度か萱屋根の葺き替え工事が行われた後、明治三十六年、村社戸田大神 本殿、中殿、拝殿、玉垣、水屋等の大改造工事が行われ、同年十一月十九日竣工となる。
明治五年香取・海上郡一帯が新治県に編入され、翌十月十二日新治県管轄の際氏子十ケ村の村社と定められた。永禄八年(一五六五年)の米ノ井城戦乱時、御神体は難を逃れて、香取市阿玉川中津の菅谷家に一時安置された記録があり、神幸祭との関連がある。
(以上 由緒 沿革より一部抜粋)

鳥居。この辺りでは一番鳥居周辺が広い神社です。

石と木のハイブリッド型灯篭 本当に招鬼碑で良いのか分からない石碑

忠魂碑

協力の碑。一行目に古来米野井は地味肥ユントモ水便悪く、更に道路無く耕作不便の文字が確認出来る。その後は黒部川の揚水工事、耕地整理について記述されている。昭和四十一年七月建立。

石段

境内

石灯篭

手水舎と手水石

拝殿

向拝

左右の木鼻

本殿


過去に十二面神楽の奉納があったので、神楽殿かな?

右石祠群。一番右が杵築大社の石祠。その左は戦死者の祠らしい。出雲国(杵築大社)の後の石祠に戦死の文字が彫られている。一番左側の石祠に鳥居と月の神紋が見られ、文字も刻まれてい

出雲国杵築大社

左石祠群

鳥居型の石祠。一番左側の石祠に鳥居と月の神紋が見られ、文字も刻まれている。