東大社

香取郡東庄町宮本 (平成18年3月5日)

東経140度41分22.17秒、北緯35度48分09.55秒に鎮座。

 この神社は成田線・下総橘駅から267号線で南西に向かい約2.5kmで左側に鎮座しています。
 東大社略記によると、主祭神は玉依姫命、相殿にその夫の鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえず)をお祀りしています。
 社伝によると創建当時は、東宮、八尾社と称しましたが、康和4年(1102)朝廷から郷社玉子大明神の号を受け、以来王子大明神と共に永年にわたり併せもちいられ、オオジン様とも呼び親しまれています。現在は東大神、東大社と共に正式に用いられています。
 景行天皇は皇子の日本武尊が伊勢で崩じられた後、追慕のためその歴戦の跡を行幸され、当社の裏の白幡の地に船で着き滞在7日の間に東海の鎮護として一社を営まれたのが創始と伝えられています。
 東大社では、20年毎に銚子までの式年大神幸祭、2年毎に利根川河畔の桜井の里での小神幸祭の例祭が行われており、式年大神幸祭では同時に海上町の雷神社、小見川町の豊玉姫神社と3社合同で御神幸することになっています。文字どおり銚子、海上、東庄、小見川の各市町村の、地域を揚げての一大イベントとなっているようです。この例祭の由来は、堀川天皇康和4年(1102)、海上郡高見浦(現在の銚子市外川町あたり)の海上が大荒れになり中々治まらず、当時海上郡総社であった東宮に宣旨があり、臨時の祭礼を行ったところ、海は治まり陸上は大豊作になったと伝えられ、この時以来4月8日に神幸祭が行われる様になったということです。また毎年春(4月8日隔年ごとに桜井御幸)と秋(10月19,20日)に例祭が執り行われており、秋の例祭では「流鏑馬」が行われていましたが、昨今は馬の飼育・確保が難しく、地上から矢を射る様になったそうです。

H30年9月「狛犬小僧」さんよりメールを戴き、この方は何方なのでしょう?と書いた丁髷をしてる石像が野見宿祢であることを教えて頂きました。最後に追加しておきます。

       
 社号標  拝殿の額 
神社入り口  境内の様子
手水舎 御神輿
ご神木
この方は何方なのでしょう?
恰幅が良くて閻魔様とも見えないし、
頭にはちょんまげが結ってあります。
  神楽殿
石工の保立 卯正さんは昭和の名工だったのでしょうか?
面構えといい、容姿といい、文句の付けようがありません。
惜しむらくは阿の鼻先に付いた苔を取って頂けたら…この時代のものとしてはとても良い出来です。
(石工・保立 卯正刻  昭和11年12月23日建立)
拝殿  本殿
挙鼻の龍。動きのある彫りの深い彫刻です。
木鼻の狛犬も度迫力の出来の良いものでした。牡丹の花を咥えてお洒落です。
境内社 境内社・子安宮

東庄町東大社の不明の丁髷をしてる石像ですが、これは相撲の神様と言われてる野見宿祢の石像です。6年程前の写真と思いますが、この頃には説明板がありました。コピー写真は千葉県文書館の書類のコピーです。この神社には土俵じゃなくて弓道場があり、それ程相撲が盛んだったとは思えないのですが、地域としては相撲が盛んだったそうです。

野見宿禰の像。出雲国の出身、第11代垂仁天皇の頃相撲と埴輪造りの元祖といわれる。