左右大神社

御祭神 伊邪那岐大神(いざなぎのおおみかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおみかみ)

我が国で始めて結婚の制を定め給い、国土及び万物を創成、天照大神の御父母神にあらせらる。御縁起は遠く白鳳の御代十二年癸未歳(六八三)に、郷土の守護神として創建されたと伝えられ、開運、満作、授子、安産、延命、長寿の大神として朝野の崇敬篤く、且て大友城主平忠常卿を始め、歴代の守護職が社殿を造営し、更に流鏑馬祭祀料として神田三段歩を寄進された。古来より上代郷八ヶ村の総鎮守なるを以って、総明神として世人に親しまれ、男女ニ柱の大神を祀る所以により左右大神と称し、明治の御代に町村制の施行に伴い、上代郷と合わせ、新たに神代村の村社として幣帛料供進の社に指定された。