小湊神社

鴨川市小湊199(平成21年10月11日)

東経140度12分04.30秒、北緯35度06分53.36秒に鎮座。

 この神社は日蓮聖人生誕の地・日蓮宗大本山誕生寺の西南に隣接して鎮座しています。社地は崖を切り取った下に作られ、道路に面した入口の朱の鳥居を潜ると神橋が架かり、石段の参道が境内へと続いています。境内には石積みの上に灯篭が建ち、その奥の石段上には狛犬、入母屋造りの拝殿や流造りの本殿には素晴らしい彫刻が施されていました。

 御祭神:天照皇大神
 祭礼日:7月23日〜24日・小湊地区祭礼
 由緒:古来社地を神明山と称し、天照皇大神を奉祀しています。
 旧社殿は天明3年3月の建築でしたが、大正14年3月類焼し、昭和2年7月現在の社殿を再建しました。
 現在は誕生寺から独立していますが、本来は誕生寺の鎮守社で、明治初めの神仏分離時に、地元小湊地区の神社として誕生寺から分離しました。法華経の守護神三十番神に因み、俗称を番神社ともいいます。昭和6年6月13日「神社明細帳」に無格社として編入されました。

 三十番神は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことである。太陰太陽暦では月の日数は29日か30日である。
 最澄(伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗(法華神道)で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。これは、京都に日蓮宗を布教しようとした日像が、布教のために比叡山の三十番神を取り入れたためである。また、吉田神道も天台宗・日蓮宗とは別の三十番神として「天地擁護の三十番神」「王城守護の三十番神」「吾国守護の三十番神」などを唱えた。吉田兼倶は三十番神信仰が吉田神道から発すると主張した。1868年、神仏分離のため、明治政府によって配祠を禁じられた。
 順番は、1日・熱田大明神、2日・諏訪大明神、3日・広田大明神、4日・気比大明神、5日・気多大明神、6日・鹿島大明神、7日・北野大明神、8日・江文大明神、9日・貴布弥大明神、10日・天照皇太神、11日・八幡大菩薩、12日・加茂大明神、13日・松尾大明神、14日・大原大明神、15日・春日大明神、16日・平野大明神、17日・大比叡権現、18日・小比叡権現、19日・聖真子権現、20日・客人大明神、21日・八王権現、22日・稲荷大明神、23日・住吉大明神、24日・祇園大明神、25日・赤山大明神、26日・建部大明神、27日・三上大明神、28日・兵主大明神、29日・苗鹿(なえか大明神)、30日・吉備大明神とするのが一般的。
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神社遠景
入口の台輪鳥居
石段参道の様子
境内の様子
境内入口にいる尾流れ狛犬
「御大典記念」に奉納された物ですから、多分昭和3年の建立と思われます。大変珍しい阿吽共に角付きで、阿の足許にいる子狛まで可愛い角を付けています。精悍な顔つきで、刳り抜いた玉の中に小さな玉が入った力作です。
狛犬の拡大写真はこちらで
拝殿
本殿
本殿木鼻・狛犬と象
 
本殿脇障子唐獅子牡丹