鎌ケ谷市右京塚7-60 (令和6年7月6日)
東経140度00分29.35秒、北緯35度45分39.88秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
東武野田線鎌ヶ谷駅東口から東に直線距離で800m程の位置に鎮座。新京成線鎌ヶ谷大仏駅東口から県道57号線経由で北西に約1.2kmの位置になります。県道57号線沿いの業務スーパー東初富店の前が一の鳥居です。近くにケーヨ―デイツーもあります。昔はこの辺りに三つの経塚があったので三塚様とも言われている神社です。
御祭神 宇迦之御魂神
由緒
現在の祭神は大正9年(1920)11月23日京都伏見稲荷より分霊したものである。右京塚神社は。以前右京塚稲荷神社といい、「三塚様」とも別称された。同社の所在する場所は、享保年間(1716〜1736)に作成されたと考えられる「中野牧・壱本椚牧・下野牧図」(東京都世田谷区満願寺所蔵)には、「経塚」と注記された3つの塚が描かれいる。また、幕末から明治初年に記されたと考えられる「鎌ヶ谷村請所地割絵図」には「ウキョウツカ」と記されている。伝承では「三塚様」の異名は、この場所に3つの塚があったことに由来するといい、その内2つは焼失し、1つが現存していると伝わる。 同社については関連資料が伝在していて、昭和6年に拝殿を建設するための趣意書である。また、昭和初年ころ年初に同社で年占いの一種である筒粥が行われ、初富地区の作物の豊凶を占っていたことが知られる。
境内由緒書き より。
また明治四年(1871)に京都伏見稲荷より分祀したとする説もある。
周囲の賑やかな雰囲気に合わせた感じの一の鳥居。
長い参道。右は寿司銚子丸。
車は通過出来ない踏切です。
二の鳥居
新京成線を通過中の列車。何とも変な感じがする。
踏切を越えると右側にある三峯神社。
狐と拝殿
手水舎と手水石
猿田彦大神碑など
台座と比べると若い感じのする狐です。拡大写真はこちら。
創立五十周年記念?台座とは違う年代かな?
大正九年( 1920年)から50年後とすると1970年の狐となり、昭和六年(1931年)から50年後なら1981年頃の狐かな?
拝殿
向拝
内部
天水桶
本殿
拝殿右側に鎮座する夫婦稲荷。
欅の丸太の御珍木。
寄付額が10円〜20円程度の時代の狐です。となると、昭和20年前後の狐かな?拡大写真はこちら。
石祠
拝殿左側
鳥居
狐
石段
湊倉國正翁命碑 | 不思議なる事碑 |
大正二年二月から六月に起きた不思議な出来事が彫られてる石碑。右から水犬、氷釼、火釼、風釼。水犬だけは意味が分からない。
これは祥瑞(しょうずい)と言って吉祥の起こる前兆としてこの様な超常現象を記録した様ですが、元は中国の文化に由来してるそうです。
石祠