六所神社

市川市須和田2-22-7 (平成22年3月1日)

東経139度55分12.96秒、北緯35度44分0.09秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
この神社は、京成線・市川真間駅の東北約800m、府中橋を渡って100m程北へ行った左手に鎮座しております。下総国総社に比定されている神社ですが、現在は如何にも村社といった雰囲気で、静かに佇んでおります。

国を治める国守の任務の中に、国内にある神社を毎年巡拝して奉幣祭祀することがありました。これはなかなか大変な仕事のため、国府の近くに杜を設けて諸社のご神体を合祀し、巡拝を簡略化しました。この齊場が総社または六所神社であるとされています。

下総国では現在のスポーツセンターの位置が総社(六所神社)のあったところです。この一帯は東西約130m、南北約80mにわたって高く盛り上がり、大樹も多かったところから「六所の森」の名があり、六所神社跡から南に短冊形の地を府中と呼んでいました。総社がいつごろから置かれたかは定かではありませんが、この地から平安時代初期までの竪穴住居址が発見されているところから、平安初期以後であると考えられます。なお、六所神社は明治19年、この地に陸軍練兵場ができたため、須和田2丁目に移されています。
情報の発信元・市川市 生涯学習部 生涯学習振興課

府中 六所之宮 六所神社 御由緒
当六所之宮は、いまを去る1881年前人皇十二代景行天皇の勅願によって
大己貴尊・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大宮売尊・布留之御魂・彦火瓊々杵尊
六神を祭礼した宮と伝えられ国府台字府中の六所の森(現在の国府台スポーツセンター内市民体育館)北に鎮座していました。
その後下総国の総社として国守による祭礼が行われて来ましたが戦国時代には里見氏、北条氏、千葉氏の各諸将の守護を受け、さらに徳川氏からは朱印賜り、篤崇敬されていました。御神徳勇武の神として宏く、幸運招来、厄払い、縁結びさらに学問の神として須和田、真間、根本、市川の四ケ村の鎮守として古くから崇められて来ました。
明治十九年境内が陸軍用地となったため此の地に遷座されました。
境内由緒書より。原文はこちら。

六社神社(ろくしゃじんじゃ)は、日本の神社。この名を名乗る神社は日本全国に存在する。
社名は、六柱の神を祭神とすることによる。創建当初から六柱を祭神としていた場合、都合により六つの神社を合祀した場合などがある。
令制国の総社の中には「六所神社(六所宮)」という社名のものがいくつかある。これはその国の一宮から六宮までの祭神を勧請して総社としたことによるものである。このことから、歴史学者吉田東伍は、「六所」とは「六か所」という意味だけではなく、管内の神社を登録・管理し統括する「録所」の意味でもあるとしている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

景行天皇勅願所、府中六所?宮の碑

境内入り口の鳥居

拝殿と狛犬

強面の岡崎型狛犬

(昭和49年(1974)12月吉日建立)

本殿

末社と狛犬

青面金剛像・猿田彦大神・浅間神社

石碑・石祠