葛飾八幡宮

市川市八幡4-2-1 (平成21年11月5日)

東経139度56分3.76秒、北緯35度43分15.52秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
御創建は平安朝の昔、寛平年間(889〜898)宇多天皇の勅願により下総の国総鎮守八幡宮として御鎮座、以来歴朝の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰深く、下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。とりわけ平将門の本幣、源頼朝の社殿改築、大田道灌の社壇修復、徳川家康の御朱印地社領五十二石の寄進等その尊信は篤いものがありました。また、御主神応神天皇の御手蹟により、文教の祖神、殖産興業、殊に農業守護の神として近郊の信仰をあつめております。毎年九月十五日のご例祭日より二十日まで、広大な境内で催される農具市の盛況さは、古来より関東一と称されています。

隋神門(市指定有形文化財)
明治維新以前は、天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門でしたが、神仏分離によって当宮の随神門となりました。両裾に位置する随神(右大臣・左大臣)のある場所には仁王像がありましたが、現在は行徳の徳願寺に遷されています。和様、木造単層切妻の構造をもち、屋根は茅葺でしたが、現在は銅葺。
葛飾八幡宮のしおり より。

参道入り口に立つ一の鳥居と社号標

京成電鉄が参道を断ち切ってしまったようです。踏切を越え参道は続きます。参道は500m程あります。

随身門

随身門前の狛犬。実に堂々とした江戸狛犬です。拡大写真はこちら。

(安永6年(1777)丁酉2月建立)

随身さん

随身さんの裏側に置かれている、青竜、白虎、朱雀、玄武の四神。

御神馬

神門

境内の片隅で余生をおくっている先代様

拝殿

本殿

厳島社 葛飾天満宮
八坂社 *浅間社

*浅間社 実は分からず「不明」と書いてあったのですが、H22/6/15葛飾八幡宮 権禰宜 杉山様よりメールを戴きました。
「不明」となっておりますのは、「浅間社」でしてご祭神は、富士山本宮浅間大社と同じく、「木花之佐久夜毘売命」です。山の様な形をしておりますが、あれは富士山を模した物で、頂上に有るのが奥宮、手前にあるのが里宮です。
掲載する時は深く考えもせず不明としたのが迂闊でした。関東地方には富士塚が今でも沢山残っています。ご指摘有り難う御座います。

神楽殿

神功皇后新羅出兵絵馬。右から二人目が神功皇后。その左が武内宿禰。

神輿庫

手水舎と、右手は御神水。

鐘楼

明治迄は天台宗八幡山法漸寺が別当寺だったということで、梵鐘があります。県指定文化財となっています。元享元年(1321年)の銘が刻まれているようです。
敬 奉冶鋳銅鐘 大日本東州下総第一鎮守 葛飾八幡是大菩薩傳聞寛平 宇多天皇勅願社壇建久以来 右大将軍崇敬殊勝天長地久 前横巨海後連遠村魚虫性動 鐘暁聲人獣眠覺金啓夜響 求除煩悩能證菩薩 元亨元年十二月十七日 願主右衛門尉丸子真吉

駒どめの石

源頼朝が当社で戦勝を祈願したとき、頼朝公の馬が前足を掛けた蹄の跡があるそうです。

千本公孫樹。樹高22m、根回り10.2m、目通り10.8、国指定天然記念物となっています。

東参道