甲大神社

市川市大和田2-5-4 (平成22年3月23日)

東経139度55分20.18秒、北緯35度42分30.9秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
JR本八幡駅より県道6号線を南下し京葉道路を潜る少し手前の所に在ります。
明治時代に江戸川放水路の建設によって大和田の中心部はほとんどが川底に沈むため住民は立ち退きを命じられて、甲大神社の周辺に移転しました。ということで、住宅街に鎮座する神社です。大和田の町を京葉道路が分断していますが、この時も立ち退いた人たちがいたのでしょう。

御祭神 誉田別命
御由緒
第66代一条天皇の永延2年8月8日当地に鎮座。葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田地区の氏神。大正9年7月24日同所無格社天神社と山王社を合祀。
千葉県神社庁公式サイトより。

甲大神社の由来
本神社御祭神は応神天皇を奉祀するとも伝え又大神の兜を祭るとも伝う。創建は古く人皇六十六代一条天皇の永延二年八月八日当地に鎮座。葛飾八幡宮の摂社にて「注連下」と称し大和田地区の氏神たり。古来武将の尊崇篤く殊に武士たるもの当社前に於て乗打すれば落馬すると云い伝う。里人の信仰ありて奉賽の誠を致すもの尠からず。大正九年七月二十四日同所山皇後無格社天神社及、同所無格社山王社合祀の件許可せらる。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入り口

北向道祖神由来
塞の神、道の辻、村境、峠などに奉祀され外来の邪霊をさえぎる神とされる。特に耳足の神として祀られる。又道陸神とも言われる。
氏子中

参道

狛犬と拝殿

やや小ぶりですが、端正な江戸流れ。拡大写真はこちら。

台座に、「歩兵上等兵勲八等」、誉れなのでしょう明治らしい。

(明治33年(1900)9月吉日建立)

本殿

天満宮・お稲荷さま・山王さま・庚申さま