第六天社

市川市若宮2-5-2 (平成22年3月23日)

東経139度57分20.7秒、北緯35度43分11.2秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
法華経寺本院より北東400m程の所にあります。社紋が七曜紋ですので近くに千葉氏ゆかりの城、館跡が在るか調べましたら富木常忍の館跡が在りました。
若宮館跡といい、ここから北へ約200mの所にこの神社が在ることになります。

常忍は出家して日常と号し、法華経寺の第一世として有名ですが神社との関係は不明でした。
富木常忍:鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤の嫡男(国府にいた幼い千葉 宗胤)に仕えた。
若宮館跡:城址は低い台地上にあり、周囲を土塁で囲んだ、小規模な城館です。

富木 常忍(とき つねのぶ/じょうにん、建保4 年(1216 年) - 永仁7年3月20日(1299年4 月21日))は、鎌倉時代の下総国の豪族。日蓮の有力檀越。
下総国守護千葉氏の被官で、下総国八幡荘若宮に住んだ。1253年(建長5 年)頃に日蓮の法華宗義に帰依し、以後日蓮門下の重鎮として「観心本尊鈔」をはじめ多くの著作や書状を日蓮から送られた。日蓮の没後に出家して日常と号し、若宮の邸内にもうけた法華堂を法華寺に改め、師日蓮の遺文の収集につとめた。その後法華寺は本妙寺と合体して中山法華経寺へと発展し、その門流は中山門流と称される日蓮宗の中でも有力教団に発展した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

管理人の一言
1948さんは「神社との関係は不明でした」と書いていますが、第六天とは、仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位にある他化自在天を指すのですが、明治になり御祭神を惶根尊と書き換え、神社にされたのです。江戸時代迄は法華経寺の境内にあったと考えて、良いかと思います。

神社入り口と一の鳥居

二の鳥居

拝殿前、昭和の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和44年(1969)10月建立)

拝殿

神額と七曜紋

本殿

不明の境内社