安房神社

市川市中山4-3-25 (平成22年2月7日)

東経139度56分55.24秒、北緯35度42分56.91秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
法華経寺の山門の脇に佇む小さな神社です。神社の前の御由緒みてビックリ、御祭神に里見安房守がありました。市川市の小さな神社と『南総里見八犬伝』、結びつかないですよね。館山市の安房神社とは関係なさそう?。

安房神社の御由緒
御祭神 國之常立命・里見安房守・大宮大権現・山王大権現
御沿革
本社は江戸時代の諸書に『安房の須明神』または『安房の須祠』として記載されています。
なかでも江戸名所図会には『安房須明神社』として「中山の北、池田というより北の岡にあり」と書かれ、挿絵を載せています。
はじめに祀られた場所は中山村中山字砂原(現在の中山小学校敷地内)で、明治四十二年一月十二日、同敷地内にあった妙見社境内(御祭神、國常立命)に移され、妙見社を合祀しました。されに大正四年政令によって大宮大権現、山王大権現を合祀して現在地に建立されたのが、今日の『安房神社』です。
境内由緒書より。原文と案内図はこちら。

里見安房守
「南総里見八犬伝」のモデルとなった館山城最後の城主、里見安房守忠義。安房国館山12万2千石の10代目藩主。倉吉三万石に移封された8年後、29歳で他界した。

管理人の一言。
安房守が伯耆国倉吉(現鳥取県倉吉市)で失意のうちに病死、跡継ぎがなかったため、里見氏はここで途絶えました。 この時里見忠義に殉死した八人の家臣の戒名に「賢」の字が付いていた為、八賢士とよばれたようです。

神社入り口

小さいけれどアジがある狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和3年(1928)1月建立)

社殿

旧神額「安房大現社」 大正四年石碑