市川市大野町3-1948 (平成22年4月4日)
東経139度57分37.25秒、北緯35度45分6秒に鎮座。
【神社情報・1948さんより】
通称天満天神宮と言われています。JR武蔵野線市川大野駅より東へ10分程歩いた所にあります。
その中間に(別当)光胤山本光寺があり、境内に(本光寺 )大野天満宮があり天満天神宮と同じ由来を塀に掲げています。
この天満天神宮の起りについては、関東の覇者として君臨した平将門が、天慶元年(938)京都の天満宮(北野神社)を、この地に勧請したものであると伝えています。それは、菅原道真公の像を描いた掛け軸に「抑天満宮者、人王六十一代、朱雀天皇御宇、天慶元年、平親王将門公、皇都天満宮、下総大野ニ移ス。別当光胤山本光寺」とその由来を記したものが残されているからです。・・・・・
境内由緒書より。両社の由緒書はこちら。
管理人の一言。
明治以前、天満宮と本光寺は一体で、別当は本光寺。それが神仏判然令により分離され、天神神社になったと思われます。天満宮が祀られている、稲荷堂は昭和56年落慶となっているので、その時出世弁財天と共に勧請されたのかも知れません。稲荷は商売繁盛、出世弁財天は出世・金運、天満宮は学問。全て現世利益。このお寺の性格をあらわしているようです。
参道の鳥居
拝殿と狛犬
神額
玉と子と左右違いますが阿吽ははっきりしません。出来は良いのですが、少し四角く彫りすぎ、と言うか彫らな過ぎ。元の四角い原石が想像出来ます。拡大写真はこちら。
(明治7年(1874)3月建立)
脇参道&道六神
市立第五中学校