八幡神社

市川市妙典1-11-16 (平成22年4月8日)

東経139度55分42.80秒、北緯35度41分39.16秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
東西線(東京メトロ)妙典駅より北へ徒歩10数分の所にあります。妙好寺の境内の一画にあり、入口は狭い路地に面しています。本殿は覆われ、さらに柵(新しい)に囲まれ、本殿の彫刻は撮れませんでした。

【いわれ】
八幡神社内に現存最古の棟板によれば、宝永六年(1709)八幡宮造営が、篠田彦八郎宗儀と村中諸檀方が行い番匠、即ち大工は、石川勘左ェ門である。
篠田彦八郎宗儀とは、篠田重左ェ門の時の投手で、徳川六代将軍、家宣の時代になった直後である。
妙好寺と同じく神社自体も篠田重左ェ門家の社が後年この土地の神社になっていったものと思われる。
棟板の表書きに見られる様に御題目を中心として日蓮宗の御本尊が書かれています。勿論これは、妙好寺に隣接した神社でなく妙好寺と一体の社であった事を示している。明治維新の廃仏毀釈、神仏分離政策によって管理が別になったものであり、妙好寺の文書中、八幡神社御神体である僧形八幡大菩薩(僧侶の姿の為、御袈裟や御衣を召されている)は、妙好寺什物に記されている。
八幡奉謝(おびしゃ)も記録の残っているものでは、安永九年(1780)庚子正月二十日の妙好寺第十五世日賢上人の書かれた御曼荼羅を掲げて、数軒の家が年番として順番に毎年一月二十日(おびしゃ)を行って来た。
平成十一年(1999)まで当番制でしたが、現在は自治会が行うようになりました。
境内由緒書より。原文はこちら。

管理人の一言。
多くの八幡神社由緒書では、御祭神誉田別命が遙か昔から祀られていたかののように書かれています。明治の時御祭神が差し替えられたとは一言も書かれていないのですが、全て八幡大菩薩が祀られていたと思われます。

神社入り口

入り口の岡崎型狛犬

拝殿

神額

本殿覆屋

大勢詰めかけたのでしょうか、柵ができました・・・・と「1948さん」愚痴っています。

妙好寺境内より

妙好寺山門