高瀧神社

市原市高滝1 (平成24年8月12日)

東経140度09分25.69秒、北緯35度20分58.21秒に鎮座。

この神社は、小湊鉄道・高滝駅の北東1km程の辺り、高滝湖畔に鎮座しております。高滝湖を前に、松尾山を背に、大変景色の良い神社です。

御祭神 迩々芸命・玉依姫命・別雷命

高滝神社由緒
当社は三代実録に貞観十年(868)九月十七日上総国正六位上高滝神従五位下とあり白鳳二年八月鎮座された。古くより安産及び稚児の安健生育を祈るに神験いちぢるしく底なし袋の信仰は当社独特のものとなった。天正十九年に徳川家康より十石の朱印地の寄進があった。
明治六年郷社に同十三年県社に列せられ現在二千二百余戸の氏神として信仰をあつめて居る。現存する社殿は享保十二年(1727)再建されたものである。

高滝神社改修記念碑
伝え聞
瓊瓊杵尊 玉依姫尊 別雷尊 の三柱は 広く庶民鎮撫の為 山深い粟又を後に 養老川の流れに沿うて加茂の邑に降る
よって住民 昼尚梟啼く 松尾山を切り開き社殿を奉造せしも 元々雨露を凌ぐ仮宮でありし故 享保十二年 山の東南部の絶壁を切崩し 土香る霊地に荘厳なる社殿を造営し奉りぬ
年毎の祭典には 詣ずる者参道に渦巻き 神輿の渡御に 御神木の銀杏の葉が はらはらとこぼれるは 天下の秋を告ぐる 唯一の風物詩なりき
かくて幾星霜 荘厳を誇りし流水造の・・・・・・・・

由緒
この神社の創建年代については不詳であるが、「日本三代実録」に記されている。平安時代末ごろ、上賀茂社、下鴨社から分霊を勧請したという。そのことから、「賀茂明神」と称されていたが、1880年(明治11年)現社名に改められた。
ウィキペディア より

高滝神社社殿付末社社殿
この神社は、縁結びの神として庶民の信仰が厚い。祭神は瓊瓊杵尊・玉依姫尊・別雷尊の三神である。
社殿は、三殿あわせて権現造となっている。本殿は三間社流造で、銅版葺の入母屋造の屋根の棟に千木・勝男木をおく。庇部分に階段・高欄を設ける。拝殿は正面中央に千鳥破風をつけ、向拝中央は軒唐破風としている。正面に登階段、回縁に高欄を設ける。拝殿は板張りで幣殿につづいている。末社社殿は、銅版葺屋根の合祀社殿である。
建立年代は、社殿は紛失した棟木銘より享保12年、末社社殿は文化九年と思われる。江戸時代の建造物で当市を代表するものである。
市原市教育委員会

由緒書きに白鳳二年八月鎮座と在りますが、大同二年に次いでよく登場する創建年です。古代の特異年代のようです。

白鳳(はくほう)は、寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号(逸年号とも。日本書紀に現れない元号をいう)の一つである。通説では白雉(650年〜654年)の別称、美称であるとされている(坂本太郎等の説)。
『二中歴』等では661年〜683年。また、中世以降の寺社縁起等では672年〜685年の期間を指すものもある。
なお、『続日本紀』神亀元年冬十月条(724年)に「白鳳より以来、朱雀以前、年代玄遠にして、尋問明め難し。」といった記事がみられる。
ウィキペディア より

由緒書き原文はこちら。

参道入口の社号標と一の鳥居

参道

参道に架かる松尾橋。裏の山は松尾山。嘗てこの辺りはは「松尾」と呼ばれていたのでしょうか。

二の鳥居

最後の石段

社務所 手水舎
境内入口の堂々とした江戸尾立。拡大写真はこちら。
(寛延元年(1748)戊辰8月吉日建立)

拝殿

神額

拝殿の彫刻

本殿

琴平神社・白鳥神社・道祖神・猿田彦神社・竈大神・疱瘡神社・稲荷神社・八坂神社・神明社・松尾神社

加茂護国神社

脇参道入口

脇参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(昭和12年(1937)6月建立)

神楽殿

底なし袋

子持石

境内より見る高滝湖