石神神社

市原市相川98(平成20年3月2日)

東経140度7分15.66秒、北緯35度27分46.58秒に鎮座。

 この神社は養老川右岸に鎮座しています。県別3万分の1の地図には記載が無く、たまたま297号線を走っていて見かけ、立ち寄りました。
 相川の産土神で、旧村社です。御祭神は倭建命ですが、案内が無く勧請年月・縁起・沿革等は全て不明です。
 境内にある「出羽三山大神」碑群が頂に建立された塚は、この地の神社ではよく見かける光景ですが、これは「出羽三山信仰」に基づく「供養塚」と言われるものだそうです。「出羽三山信仰」とは山形県の月山、羽黒山、湯殿山(総称して出羽三山といいます)を行場とした山伏集団の修験道(大日如来または不動明王と同体になることを目的)を背景とする「詣り型」信仰を特徴としており、修験者の中では究極の修行形態として即身成仏も行われていました。
 この地は三山から遠隔の地でありながら強く信仰が根をおろした特異な地方とされていますが、嘗ては特に稼業を継ぐ長男の場合は「一生に一度は奥州参り」の不文律が課せられ、行人(奥州参りを成し遂げるた人を行人といいます)の資格を得る事により、寄合いの仲間入りが社会的に公認されました。従って村人たちの間では、奥州参りは最も重要視される宗教儀式であったといえるのでしょう。(詳しくは「『出羽三山に関する研究』對馬郁夫氏 市原地方史研究第十五号 (市原市教育委員会発行)掲載より」をご覧ください。)

神社入口 境内の様子
社殿・正面と側面から
社殿側面に纏められた末社群 富士塚
富士浅間大神、石祠・水仙元大菩薩
出羽三山大神碑群