市原市鶴舞198 (令和5年11月3日)
東経140度11分41.62秒、北緯35度22分33.46秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道171号線と県道284号線が接する鶴舞交差点から171号線を北東に420m程進むと、道路右側に鎮座しています。鶴舞不動尊とアース研修所の看板が目印です。成田山を真似たのか、狛犬さんが鎮座する不動尊ですが、狛犬に類似性は見られません。
由緒
鶴舞不動堂は 明治十八年四月 行者 信徒の発願により 新勝寺にて 開眼供養された不動尊像を勧請し当地に成田山新栄講仮協会所を開創した。その後隣村より 真言宗の古寺(西連寺)を移転し 七ヶ年の歳月を労して 明治二十五年四月に 建立された堂宇であります。
(以上 開創百季記念碑より一部抜粋)
明治18年(1885)、成田山新栄講社行者の河津宗成師を中心とした信者の発願により、成田山新勝寺にて開眼供養された不動尊や阿弥陀如来等を勧請しました。田尾地区にあった真言宗豊山派の西蓮寺を移し同25年に不動堂が完成しました。大工棟梁の月出の野口氏は名工といわれ、不動堂の見事な彫刻は、見どころの一つです。境内には日清戦没者の忠魂碑等、多くの石碑があります。
(以上 市原歴史博物館ホームページより抜粋)
不動尊入口
御神木と成田の文字が彫られた石灯篭
境内
境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(石工 安藤富太郎明治41年(1908)11月吉日建立)
発願人 河津宗成 八幡町石工 安藤富太郎。八幡町は現在の内房線八幡宿駅周辺の町かな?この面以外にも十数名の発願人の名前が彫られている。
手水舎と成田山新栄講とある明治二十八年四月の手水石
成田山新栄講 月崎講中 月崎はここから10キロ程南南西の養老川添いの街。
起工上棟竣工記念碑 | 石仏 |
由緒書を兼ねた開創百季記念碑
日露戦役記念碑
入口側
本堂。本来は茅葺で銅板葺きにしたのかな?
向拝
龍と木鼻
彫り師の名前が消えてるけれど、月出の野口と書いてあったのかも?月出はここから10km程南の地区です。
本堂右側。重量オーバーで補強しないと厳しそう。
浅間神社入口。楓の多い裏山でした。
鳥居。余り見掛けない角柱の石鳥居。
大護摩修行記念碑 | 馬頭観世音 |
石碑。権現は読めるが、その上が読めない。
不明の建物。これが浅間神社と思ったが、何も書かれていなかった。
浅間神社。石灯篭、手水石、石碑と揃ってるので、これが浅間神社らしい。
浅間神社石碑
石灯篭。落ちてた宝珠を乗せ修復して撮影。