白山(しらやま)神社

市原市飯給937 (平成24年8月12日)

東経140度08分40.95秒、北緯35度19分02.27秒に鎮座。

この神社は、小湊鉄道・飯給駅の西60m程の辺り、駅前と言って良い場所に鎮座しております。もっとも駅前と言っても、一日の平均乗車数が7人と言う無人駅なので、水田が広がる極めて牧歌的な雰囲気となっております。

この付近には壬申の乱に敗れてこの地に落ち延びたとされる弘文天皇(大友皇子)にまつわる伝説がある。当白山神社は弘文天皇を祭神としている。「飯給」(いたぶ)という地名も、この地の人々が天皇一行に食事を捧げたことから、弘文天皇の3人の皇子が「飯給」の名を与えたとされる。
このほか、「御所塚山」は弘文天皇が仮の御所を置いた地、「安房森」は弘文天皇に随行した安房大納言の旧跡とされる。安房森には弘文天皇の3人の王子を祀ったとされる3つの祠がある。
飯給の地名に関し、大友皇子にまつわる以下のような伝説がある。
672年、壬申の乱に敗れた皇子は東海道を下ったが、このさい11人の公家を引きつれて川をさかのぼって来る途中、前の川岸では6人が溺れて亡くなった。疲れ果てた皇子一行を、村人たちは追っ手が良く見える八崎代に案内のうえ、休息をとらせ食事も与えたことに対して、一行は大変喜んだという。このことから、当地を飯置(いいち)と呼称するようになり、飯を給うたので飯給と呼称するようになったという。
また、地元の言い伝えでは皇子の3人の子どもを村人に預けて、現在の市原市万田野地区を越えて落ちのびたという。村人は3人の子供達の顔にススを塗るなどして変装させたが、10月の酉の日に追っ手に捕らえられ、現在の駅前に見える白山神社で打ち首になったが、この翌日から付近には白い3羽の鳩が舞うようになったため、村人達がその場所にお宮を建て祀ったところ、その日から白鳩の姿は見られなくなったと言われる。なお、白山神社の別称として白鳩の宮というのはこの伝承に由来するという。
ウィキペディア より

神社遠景。写真中央に参道入口。

参道入口

鳥居

参道

境内入口

拝殿

本殿覆屋


石祠