白幡神社

市原市君塚5-24-15 (平成24年12月2日)

東経140度6分12.28秒、北緯35度31分9.46秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
国道16号線を南下し八幡海岸通りで右にカーブする交差点(伊豆山造船所前)を左折し、そこから約500m進み君塚陸橋西側交差点を右折し200m程進み、運河を渡ったら直ぐに左折。100mほどで神社です。

この神社を見学する前に、近くの若宮八幡神社のボリュームの有る狛犬さんを見て来たので、この神社にも期待していたのだが、残念ながら狛犬さんは不在でした。
また、内房一帯は源頼朝伝説にまつわる白幡神社が多く見られ、この神社もご多分に漏れずその一つでした。狛犬さんは見られませんでしたが、ユニークな木彫りのワニのベンチが鎮座しているのが救いでしょうか。

御祭神 日本武尊

由緒
「君塚村誌」に「日本武尊御東征の際、御休憩の塚に御杖を立てさせ置かれしより武の塚神と尊称し、村落を武の郷と称す。治承4年源頼朝公東上の砌御休憩の際、日本武尊の垂跡なりと御聞ありて白旗一旒を納めして御祈願あり、随従の武者上指の矢一筋宛納められしと。該矢の根ならん異形錆腐鉄数十ヶは文政9子年正月の火災にて類焼す。会々ここにて千葉介常胤の使者と会い喜び見ん塚なりとのことより武の塚を喜見塚と称す。尚白旗永存せしを以て何時となく白幡神社と崇敬したり」と記す。
(以上 神社のひろば 神社探検隊より抜粋)

頼朝はここで休憩した折、ここが日本武尊が祭神であり、里の名が「武里」であるきとを聞き、また、そこへ常胤の六男胤頼が二百余騎を率いて馳せ参じたのを喜び、「再び源氏の白旗を揚げることのできたのは、わが産神熱田大明神のお陰である。この塚の祭神は、熱田大明神の祭神と同体である。尊は伊勢国で薨去されたが、尊の御尊体は白鳥と化し、止まる所で八つの白幡となった。そこは私の生まれた所であろ。熱田明神の前に旗を揚げるのも、ここに揚げるのも同じである。必ず我軍は勝利を収めるであろう。」と白幡を奉納し、戦勝を祈願しました。また、随従の兵士もうわざしの矢一筋づつ納めました。これにより武の塚神社を改め白旗大明神と号し、里の名も喜び見る塚より喜見塚とし、後君塚に改めました。
(以上 市原教育委員会 市原のあゆみ より)

神社入口。鉄パイプ製でしょうか、頑丈そうな造りの鳥居です。

神額

タブの御神木 イチョウの御神木

余り見かけない形状の手水石

社殿

向拝

木鼻

紅葉の拝殿

境内

供養塔。何の供養塔なのかさっぱり分かりません。天下泰平、国土安全、五穀成就などと彫られています。

猿の腰掛案内板 この神社の守護神である猿の腰掛で、二箇所有るそうです。

ワニのベンチ。木の形状を生かしたユニークなベンチです。