筒森神社

夷隅郡大多喜町筒守446(平成19年2月12日)

この神社はR465久留里街道、筒守地区の中に鎮座しております。社号標が無く、如何にも村の鎮守様といった雰囲気ですが、不思議な伝説に彩られた神社です。

壬申の乱で破れ、山前の地で自ら命を絶ったといわれる、大友皇子(弘文天皇)。しかし大友皇子は自殺せず、上総の国まで逃げ延びたと言う伝説があります。その時、妃の十市皇女も上総に逃れたと云う。しかし,妊娠中であった皇女は難産(死産)がもとで亡くなられたが、身罷られる間際に皇女は「私が死んでも、魂はこの地に止まり、永く産婦を守護しましょう」とおっしゃったそうです。里人が祠を造り奉ったところ霊験あらたかであったので以後産神となり、筒森大明神と崇められて産婦の守護神となったそうです。

壬申の乱で破れた後、未亡人であったにも関わらず泊瀬の斎宮となることが決定するが、天武天皇7年(678年)、出立の当日4月7日朝に急死。日本書紀には「十市皇女、卒然に病発して、宮中に薨せぬ」と記されており、14日に大和の赤穂の地に葬られたと云う。この際父の天武天皇が声を出して泣いたとされる。この皇女が本当にこの地にやって来たか?・・・・、つまらぬ詮索はやめよう。

大きな拝殿。

流造りの立派な本殿。

境内の末社。