松虫姫神社

印西市松虫 (平成22年7月19日)

東経140度13分5.63秒、北緯35度47分11.96秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
成田新高速鉄道印旛日本医大駅より東北東に1.4km程、高台の一角にあります。

ハンセン氏病に罹った聖武天皇の第三皇女である松虫姫(不破内親王)を祀った神社がこの松虫姫神社です。また、松虫寺薬師堂右側には六所神社もあり、松虫寺は二つの神社に挟まれた形の寺です。

松虫寺の概要
松虫寺は奈良時代、聖武天皇の天平十七年(745)僧行基の開創と伝えられ、始め三論宗、のち、天台宗、そして、真言宗に所属し今日に至っている。寺伝によれば、聖武天皇の皇女松虫姫、(不破内親王)が重い病に患られた時、不思議な夢のお告げにより、下総に下向され、萩原郷に祀られていた薬師仏を祈り、重患が平癒したので、天皇は、行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の御名をとって松虫寺と名付けられたと言う。・・・以下省略
松虫寺境内由緒書より。原文はこちら。

不破内親王(ふわないしんのう、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代にかけて生きた皇族。聖武天皇の娘。
千葉県印西市に所在する松虫寺に、不破内親王にまつわる伝承が残っている。不破は幼名を松虫姫といったが、不幸にして癩を患い、手の施しようがなかったが、夢に、下総国に効験あらたかな薬師如来が鎮座するとの託宣があった。姫がこれを信じて東国に下ったところ、下総国印旛郡の萩原郷にはたして夢に見た薬師堂があり、かの地に庵を結んで一心に平癒を祈り、ついに全快することを得た。聖武天皇はこれを喜び、行基に命じて一寺を建立させ「松虫寺」と称したという物語である。
また、不破は死に臨んで松虫寺に分骨されることを望み、かなえられて松虫寺に分骨塚が築かれたという。現在も松虫寺には「松虫姫御廟」と呼ばれる堂がある。
なお、松虫姫伝説については、大衆文学研究会編『房総の不思議な話、珍しい話』(侖書房、1983年)による。
ウィキペディアより。

管理人の一言。
今も神仏習合の信仰形態を守っているようです。松虫寺境内にあり、神社本庁とは無縁と思われます。

松虫寺山門

松虫姫神社鳥居

松虫寺と神社。右が松虫寺七仏薬師堂、左奥が松虫姫神社。

建立記念碑。平成十二年創建と考えて良いのでしょうか。

社殿

右から

向拝。お姫様の神社なので、何処と無く可愛い系の造りで菊の紋章が光ります。

木鼻

神額と脇障子

薬師堂の裏手の松虫姫御廟は、御遺言により分骨埋葬されたものと伝えている。松虫寺境内由緒書より。


六所神社入り口。向かって右側の六所神社は対照的に地味です。

社殿。造りとしては松虫姫神社より古そうにも見えます。

金毘羅大権現

石祠と石仏