外川(とがわ)神社

印西市船尾125 (令和5年9月30日)

東経140度07分22.04秒、北緯35度46分44.60秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
神崎川に架かる県道61号線の橋から北に320m進んだら船尾町田交差点を左折し、80m進むと道路右側が入口です。

御祭神 日本武尊・大山祇命

由緒
外川神社の総本山である山形県の仙人堂(外川神社)は、出羽三山の一山である羽黒山の麓にあった。知る人ぞ知る存在であった仙人堂であったが、出羽三山信仰とともに、信仰がひろがっていった。その結果、関東南部の各地に仙人堂の分霊を勧請した。その一社が本社である。本社は江戸時代中期ごろ創建された。

外川仙人大権現(仙人堂、山形県)を総本社として、初代の山伏が全国を行脚し、その分霊を勧請し、現在の地にまつった。そのことにより、草鞋の形をした絵馬を奉納すれば、虫封じの願いが叶い、子供の足が強くなると信じられてきた。
はじめ外川仙人大権現と称したが、明治時代に神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めた。小児の虫封じや家内安全、航海安全、足が丈夫になるという御神徳があるとして、講が作られ遠近から参拝する者が絶えなかった。
昔、この土地で不作の年があり、そのときに近くの戸神川に鮭がたくさんあがり、鮭を食べて飢えをしのいだことに感謝して外川神社では、それ以来鮭を食べないようにしている。先祖が源頼政の家臣であり、頼政の首を家臣3人で結縁寺の頼政塚に奉納した。神崎川は印旛沼や利根川とつながっていたことから、船に乗って銚子から参拝に来ていたとされていて、その人たちによって貝殻で作った竜が奉納された。
神社の入り口には、明治27年に建立された神明鳥居や神塔などがある。その神塔には、戸川神社と記されているが、これは、富山の薬売りの人たちによって奉納されたもので、誤って戸川になってしまった。外川神社の旧拝殿は昭和43年5月に再建され、平成20年4月11日漏電による火災により全焼し、平成22年7月に再建され今の拝殿となった。
(以上 外川神社ホームページより抜粋


神社入口。歩行者用の入口で、車の入口は右側にあります。

石灯篭

令和4年6月吉日の鳥居と拝殿

神額

手水舎と手水石

昭和十五年奉納手水石。東京市鹿骨(ししぼね)町は昭和七年に江戸川区に成立した町で、現在の東京都江戸川区の町名。現在でも鹿骨町は江戸川区の東寄りに存在するそうだ。

向拝

虫封じの祈祷

池の跡?昔は池でもあった様な雰囲気。

龍など。今では石の龍だが、昔はこれが貝殻で出来ていたのかな?由緒には貝殻で作った龍を奉納したと書かれている。

本殿入口。拝殿裏側にある本殿入口。

商人中(富山の薬売)が奉納の戸川神社神塔

参道

御神木

境内

文化二丑年(1805)奉納の手水石。

神塔と狛犬

天保十四発卯年神塔。山形の仙人堂の分霊を勧請したので、仙人大権現と彫られている。

狛犬と本殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治34年(1901)辛丑3月吉辰建立)

明治三十四丑年三月吉辰 何故か新築の文字が。これはここで二代目の狛犬なのかな?石工 小原菊太郎。

25.8m三角点

本殿

奉納額と草履。茨城県下総国北相馬郡の方が奉納した奉納額。下総国北相馬郡は明治八年頃に茨城県の所属になり明治十二年に消滅してるので、この間の  奉納された額かな?鳥居の材質は不明。

靴底? おっぱい?乳が出ますようにと奉納されたと思われる。

明治十八年酉年の浅間神社