龍神社

船橋市海神6-21-18 (平成23年1月9日)

東経139度58分21.22秒、北緯35度42分4.62秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成線海神駅より千葉街道側、徒歩5,6分の所に鎮座しています。本殿の彫刻が素晴らしいです。また見られるように保護しているのがいい。

御祭神 大海津見神(神社庁)
龍神社のいわれ
龍神社は、西海神の鎮守で大綿津見命を祀る。仏名を娑羯羅龍王(しゃからりゅうおう)という。阿須波の神ともいわれる。明治以前まで大覚院が別当をしていたと伝えられ、 同寺の山号を龍王山と称する。
万葉集巻二十に 「庭中(にはなか)の阿須波(あすは)の神に小柴さし、吾は斎(いは)はむ。帰り来るまで」 の歌が伝えられている。
境内にある小さな池には弘法大師の石芋や片葉の蘆の伝説が残されている。
境内石碑 より

仏名の娑羯羅龍王から龍神社になったとのこと。妙見社、大六天社、八幡社が合祀されているとのこと。

この神社の周辺には、弘法大師(空海)にまつわる石芋伝説が残されている。
龍神社の御祭礼の起源には、弘法太師(空海)が関わっていると言い伝えられている。弘法太師が全国を行脚している時に今の龍神社に訪れた。空腹を感じた大師はちょうど龍神社の境内で芋を焼いていた農夫に、分けて貰うよう願い出たが、農夫は芋を惜しみ「食べられない芋」だと大師に伝えたところ「そうか」と大師はこの地を去ったという。
大師の去った後の芋は石になり農夫は芋を食べることが出来なくなってしまったといわれている。この事から龍神社に『石芋伝説』が言い伝えられるようになったといわれている。
さらに弘法太師は去り際に、体に刺さる葦の茂みを持っていた杖で払いながら先を急いだというが、先述の石芋を捨てたところ芽が出てきて、弘法太師のなぎ払った後の葦と同じ『片葉の葦』が生えてきたと言い伝えられている。
その後農夫は、贖罪の気持ちから『石芋伝説』にちなみ、芋と『片葉の葦』を奉げ毎年10/3、10/4に祭礼を執り行うようになったといわれている。これが、龍神社の御祭礼の起源になったという。
船橋再発見マガジン MyFunaねっと (まいふなねっと ) より

この石芋の物語は、全国にある共通の弘法大師伝説ですが、実際に昭和二十八、九年頃まではその芋が残っていたといいます。
海神の昔話 より

鳥居

堂々とした獅子山の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正9年(1920)4月建立)

拝殿

扁額

拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正2年(1913)9月吉日建立)

本殿。本殿の彫刻はこちら。

透かし塀内の狛犬
(天保5年(1834)甲午9月吉日建立)

社号標

出羽三山巡拝記念碑

善光寺日光参拝記念碑

末社