意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)

船橋市宮本5-2-1 (平成22年10月2日)

東経139度59分46.4秒、北緯35度41分34.75秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成線「大神宮下」駅より徒歩5分、京葉道路花輪又は船橋インターより車で10分の所に鎮座しています。周りを住宅街に囲まれているとは思えない境内でした。

御祭神 天照皇大神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。

御由緒
社伝では、景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。元々同社では地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、特に周辺(東京湾)の漁民の信仰を集めていた。
後にこの一帯が伊勢神宮に寄進されて御厨(夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る神明社が現在の夏見台の日枝神社に建立されたが、御厨の衰退とともに神明社も廃れ、意富比神社に合祀された。その後、天照皇大神に対する信仰の方が強くなり、次第に意富比神社の社名は忘れられ、もっぱら船橋神明・船橋大神宮と呼ばれるようになった。
戦国時代までは、この地域で、勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司をつとめていた。現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司をつとめている。
明治維新時における船橋の戦いで社殿は焼失してしまう。明治6年に本殿、明治22年には、拝殿を再建された。明治5年(1872年)に県社に列格し、延喜式神名帳に記される意富比神社の名に復した。
ウィキペディア を要約

船橋大神宮(意富比(おおひ)神社)式内社・旧縣社
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
例大祭 十月二十日
景行天皇四十年、皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照大神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
同五十三年、天皇御自身が御東行、武尊の御功績を御追憾なされ、「意富比神社」の称号を賜りました。
平安時代、延長五年(九二七)に編纂が完成した『延喜式』にも当宮が記載されており、式内社としての歴史を知ることができます。
後冷泉天皇の御世、天喜年間(一〇五三〜五八)には、源頼義・義家親子が当宮を修造し、近衛天皇の御世、仁平年間(一一五一〜五四)には、船橋六郷の地に御寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じて当宮を再建し、その文書には「船橋伊勢大神宮」とあります。
鎌倉時代、日蓮聖人(一二二二〜八二)は宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸開府の頃、徳川家康公(一五四六〜一六一六)は当宮に社領を寄進、奉行をして本殿・末社等を造営し、以来江戸時代を通して五十石が幕府から献納され幕末に至りました。
近代に入り、明治天皇陛下(一八五二〜一九一二)には習志野・三里塚へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠遊ばされました。
往時の諸社殿の景観は、江戸時代末期の「江戸名所図会」に窺えますが明治維新の戦火のため焼失しました」。
「船橋大神宮参拝のしおり」より。

管理人の一言。
現在の御祭神は神明宮だった時の神々ですが、意富比神社の御祭神は忘れ去られたのでしょうか。仁平年間(1135〜1153)に船橋六郷の地に、源義朝之を奉じて当宮を再興された時の文書には「船橋伊勢大神宮」となっていたようなので、既にその頃には、分からなくなっていたのかも知れません。又、この神社は我々も嘗て参拝したことがあり、船橋大神宮の名称で作成してあったのですが、平成15年、神社巡りを始めた頃で、写真も少なく、今から見るとお恥ずかしい限りです。今回1948さんよりの情報でリニューアルしての再登場となりました。

一の鳥居

二の鳥居と「意富比神社」の社号標

江戸名所図会に描かれている「意富日神社」(おふひのじんじゃ)。拡大写真はこちら。

江戸名所図会によれば、元々「比」だったが、天正年間に「台命によりて比を日に」と書き・・・・云々。社号標は明治以後でしょうか。

二の鳥居前の江戸流れ。拡大写真はこちら。

(明治14年(1881)7月吉日建立)

神門

拝殿.

神額

本殿

獅子山の狛犬。残念乍ら、左は木陰で尊顔が良く分かりません。拡大写真はこちら。

(明治36年(1903)10月建立)

雅楽殿

外宮(豊受神社)

八雲神社

八雲神社を護る、渋い江戸流れ。拡大写真はこちら。

(年代不明)

天之御桂宮

大鳥神社

(奥宮)常磐神社

古峰神社

神輿殿。左:八坂神社神輿奉安殿。右:八劔神社神輿奉安殿。

金比羅神社

八幡神社・竈神社・龍神社・道祖神社・客人神社・多賀神社

宮島神社・住吉神社・祓所神社・春日神社・香取神社・鹿島神社・玉前神社・安房神社・天満宮・天神社

船玉神社

三峰神社 猿田彦神社

粟島神社・根神社・祈年穀神社・岩長姫神社・阿夫利神社・大山祇神社・事代主神社・大國主神社・水神神社・産霊神社

浅間灯明台。明治十三年(1880)、地元の漁業関係者らによって建設。三階建、高十二米。灯室は洋風の六角形。

参道途中の御神木と石碑

広重諸国名所百景「下総舟橋大神宮」