意富比(おおひ)神社

船橋市米ヶ崎町332 (平成22年10月13日)

東経140度0分27.79秒、北緯35度42分39.68秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
JR東船橋駅より真北約1.5Km程の米ヶ崎城址の台地の中央に鎮座しています。途中、東町意富比神社に参拝しました。この辺一帯は夏見御厨、一名船橋御厨と言われた所です。

夏見御厨(なつみのみくりゃ)は現在の船橋市南部から中央部の地域(海老川流域)にかけてあった中世の寄進型荘園の一つ。「御厨(みくりゃ)」は天皇家や伊勢神宮、下鴨神社の領地を意味する。夏見御厨は伊勢神宮の神領である。船橋御厨(ふなばしみくりゃ)ともいう。
夏見御厨については資料が少ないことから、まだわかっていない事が多い。千葉氏系の氏族の荘園だったと考えられているが、実際には誰が開発して伊勢神宮に寄進したのかもわかっていない。 1138年(天治4)に立券され『吾妻鏡』には、1186年(文治2年)の記述に院御領船橋身御厨という文句があることから、御厨は一時、御白河院領になったことがわかっている。御厨は室町時代まで存続したと推定されている。船橋大神宮所蔵の1311(応長元年)の文書では湊郷、夏見郷、金曾木郷、宮本郷、高根郷の五郷が記されている。
ウィキペディアより。

御祭神 天照皇大神

米ヶ崎城について
宮前川を北側に控えた比高5,6mほどの台地上の一帯を「城之内」と呼び、その地名が城があったことを示している。かつて台地そのものが大規模に表土を剥ぎ取られてしまっているということであるが、現在でも、台地先端部にはかなり大きな土塁を見ることができる。台地のあらかたは広大な畑となっているが、その中央部には意富比神社が鎮座している。
余湖くんのホームページ 米ケ崎城  より

神社全景

神社入口

文政4年(1821)辛巳3月吉祥日建立の手水鉢

石燈籠台座の狛犬

拝殿

優雅な体つきの江戸流れ。拡大写真はこちら。

(明治31年(1898)6月1日建立)

本殿を覆う鞘殿

石祠、石塔

出羽三山参拝記念碑

神社近くのハウスです。シクラメンのように見えます。