淡島神社

千葉市若葉区下泉町 (平成21年6月20日)

東経140度13分39.06秒、北緯35度37分23.04秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
地方道58号線が地方道66号線と交差する川崎十字路から58号線を北東に350mほどで道が右にカーブしているが、ここを道から外れて130m直進。

由緒
今から三百四十年前、人皇百十一代、後西天皇の御代、徳川四代将軍家綱公の時代、此処下総の国下泉村が幕府領であった万治四年(一六六一)三月、当村の在、小出孫兵衛が不思議な霊夢を感じ、小板を製し、これを山武郡土気本郷村の如意山本寿寺十三世大僧郡日静上人に直筆を請い、この板曼荼羅を御本尊とし、小社を造営して勧請したのが起こりである。
嘉永五年(一八五二)に村社となり、その後、延命寺、寛泉寺の別当となった。
江戸中期からこの淡島様(淡島大明神)は、特に婦人病、安産、縁結?の神として信仰され、また、針供養の神事も知られ、毎年一月三日と三月三日の縁日には遠く船橋、検見川、稲毛、寒川、生実などの方面からも多くの参詣者が訪れ賑わい、参道には出店が軒を連ねた。
明和六年(一七六九)に造営された社殿は、嘉永六年(一八五三)三月に火災により焼失した。この年の六月にはアメリカの使節・ペリーが浦賀に来航している。現在の社殿は、桜田門外の変が起こった安政七年(一八六〇)に再建されたもので、内陣は精巧を極め、各種の御鏡や、大小の絵馬が数多く奉納されている。
以上  淡島神社由来より一部抜粋

この神社から1Kmほど東に寛泉寺は今でも存在します。

神社入り口

神額

石灯篭と拝殿

神額

平成生まれの岡崎型狛犬
(平成12年(2000)建立)
木鼻

手水舎

ピカピカに磨かれた力石