日枝神社

千葉市緑区おゆみ野中央5-2-2 (平成27年4月18日)

東経140度10分30.90秒、北緯35度33分18.79秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成千原線「学園前」駅より徒歩20分程の所に鎮座しています。村社。途中の道、境内、隣接する有吉貝塚公園などの新緑も楽しみました。

御祭神 大巳貴命

御由緒
生實濱野村有吉區字宮前に鎮座す。大巳貴命を祀る。勧請年月日詳ならず。本社は元山王社と稱せしが明治元年改稱して日枝神社となし、仝五年元社地六百六十三坪の内三四十二坪を上地す。氏子五十五戸あり。
本殿間口二間奥行三間、拝殿間口三間奥行二間あり。
千葉縣千葉郡誌 (の707、708ページに掲載) より

写真01_神社への道。地図はこちら。

写真02_神社への道。

駅からの道は写真左の坂道(写真02) 社号標

貝塚の説明

有吉南貝塚は、村田川が流れる谷からわかれた2つの谷に挟まれた標高約40mの台地の上にあります。 大小8ヶ所の貝層が円形に連なった直径約130mの馬蹄形の貝塚です。
近くには、北側約200mのところに有吉北貝塚が有ります。遺跡の一部は、平成8年から平成13年にかけて (財)千葉県文化財センターによって発掘調査が行われ、その様子が明らかになりました。調査の結果から、ここには旧石器・縄文・古墳・奈良・平安・中世と長い時代にわたって人が住んでいたことがわかりました。中でも貝塚が作られた縄文時代中期後半頃(加曽利E式期:約4500〜4000年前)の竪穴住居跡約60軒、焚火跡2ヶ所、貯蔵用に利用した穴(小竪穴、土坑)約300基、柱の穴、溝などの生活に関係した跡が見つかっています。生活跡からは、当時の人が使っていた縄文土器や骨・牙・貝・石・土を焼いた物などを利用して作った斧・やじりなどの様々な道具や耳飾などの装飾品が出土しています。この他には、人やイヌ・イノシシが埋葬された跡(墓穴)なども見つかっています。貝塚の貝層の中にはハマグリ、アサリ、シオフキ、キサゴ、オキシジミ等の貝の他に鳥・獣・魚の骨なども入っていました。日枝神社境内と遺跡公園のほとんどの部分は、そのままの状態で残され、遺跡は保存されています。このまわりで見られる白い貝殻は縄文人によって海からこの地に運び込まれてきたものです。
平成14年3月 千葉市教育委員会

手水舎 裏より

拝殿&狛犬

拝殿前の岡崎型狛犬
(平成十三年九月吉日奉納)
向拝の彫刻

拝殿内部

本殿


左より子安社・第六天神社・三峰神社

石祠等

富士浅間大神 道祖神

御神木

本殿裏にあります

御遷宮記念碑 出羽三山碑

出羽三山神社を祭る有吉供養塚は日本住宅公団の造成に伴い移転する事と相成りました。
依って行人一同及び町内会長 日枝神社氏子総代共々相謀り有吉町の馬の口二六七番ノ二より日枝神社境内に御遷宮しました。
昭和55年5月5日

日如来、安永二年(1773)癸巳 大日如来、寛政六年甲寅(1794)