作草部神社

千葉市稲毛区作草部町897(平成20年3月1日)

東経140度7分21.19秒、北緯35度37分29.87秒に鎮座。

この神社は、都賀小学校の南西すぐ隣。タウンライナー作草部駅の東北東500m程の辺りに鎮座しております。合併して千葉市稲毛区になる以前は千葉郡都賀村大字作草部だったようで、嘗て都賀村尋常高等小学校が現在の都賀小学校になったという事です。

作草部という地名は、『倭名類聚抄』(源順撰)に「千葉郡三枝郷,今都賀村に大字作草部あり,即ち三枝部の遺地なり」とあるようで、6世紀頃は皇室の直轄領であったとみられるという。三枝部の部民の居住地であったので,「さきさべ」と名付けられ,「さくさべ」となまり,作草部の字があてられたと云う。

しかし以上は神社名称の由来で、肝心の神社の由来は由緒書が無い為不明です。

と書いていたところ、平成27年5月3日、「作草部神社」近隣の方よりメールを戴き「現在は鳥居前の道に面して看板が設置されています」と言うことで御祭神、由緒を追加しました。

御祭神(12柱)
大雷神・大山祇神・高龗神・伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命・高皇産霊命・猿田毘古命・應神天皇・菅原道眞・素戔嗚命・市寸島比売命

社殿の額文字『貴布禰大明神』

由緒沿革
慶応三(1867)年十一月二日 神祇管領 卜部義良殿の庁宣をもって作草部神社と奉称
明治四十三(1910)年十一月十一日 以下を本社に合祀
無格社熊野神社・皇産霊社・道祖神社・子安神社・天神社・摩利支天社・疱瘡神社・駒形神社

神社入口。

境内。この神社もお掃除の日のようです。十名ほどの氏子さん達が境内の落ち葉等を掃除しておりました。

渋い苦みばしった顔で睨んでいます。ひきかえ子どもは思いっきり顔の潰れた愛嬌者です。拡大写真はこちら。

(明治3年(1870)庚午12月建立)

拝殿と本殿。

境内の末社と石碑。庚申塔・山王大権現・石尊大権現・木花開耶姫命。

出羽三山参拝記念の石碑。

石仏二体