長沼観音

千葉市稲毛区長沼町28 (令和5年5月17日)

東経140度07分27.73秒、北緯35度39分45.62秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
国道16号線と県道66号線が立体交差する長沼交差点から66号線を東に160m進むと道路左側が入口です。

千葉と言えば鎌ヶ谷大仏と市原市奈良の大仏が知られているが、千葉市に大仏が存在してたとは思わなかった。更に狛犬まで鎮座しているので見学しない訳には行かなかった。

由緒
江戸時代元禄の頃大巌寺(現中央区)第十六世本蓮社然誉上人澤春大和尚の開基によるもので、観音堂本尊は馬頭観音である。御成街道一帯の開発に当たった江戸の薬種商人・野田源内と地域住民が街道を通行する人達の安全祈願のため建立した。
(以上 長沼郷土歴史クラブ 長沼さんぽ より一部抜粋)

徳川家康の鷹狩りのために造られた、現、船橋市 東金市を結ぶ『御成街道』。その道を通る人々の安全と疫病退散を願って建立された駒形観音堂の境内に、大仏が鎮座しています。その高さ2.36mの、銅で鋳られた阿弥陀如来座像の背中には、大仏建立の浄財を寄付した村人の念仏講が刻まれています。
(以上 千葉市観光ガイドより抜粋)

大仏由緒
今からおよそ320年前、奥之院の近くに約60の村から浄財寄進を受けて建立されたのが「駒形大仏」です。1739(元文4)年には、さらに多くの人々が集う、現在の駒形観音堂の境内へ移されました。大仏の背面に、寄進した念仏講中や村民の名前がびっしりと刻まれていることから、全ての者が心安らかに暮らせるようにと願う当時の信仰の深さが感じられます。
(以上 チイコミ!より一部抜粋)

刻銘により元禄16年鋳物大工橋本伊左衛門藤原重広の作であることが知られている。元文四年(1739)?に移座し、その際の損所を修復した記録が、向かって右膝に刻まれている。(千葉市教育委員会)

大仏標 観音堂由来 参道石碑
大仏標の右側に観音堂の由来が彫られていて、裏側には大仏の由来が彫られています。

門柱。右が仏母山駒形観世音で左が駒形大仏。

お地蔵さん

右が高野山参拝記念碑で中三つは秩父三十四番供養塔。

御神木

子安様

文化3年丙寅(1806)の十九夜塔 宝暦3年癸酉(1753)の十九夜塔 平和之碑

イチョウ

大仏と本堂。右が大仏で正面が観音堂。

手水石

大仏。像高約2.4mの如来形坐像の大仏です。

手。昔はここに持物をのせていたらしい。皆さん触るのか、手ばかりツルツルだ。緑青も出ている。

念仏講中名。六十ヶ村の念仏講中名が彫られている。

狛犬と観音堂。聞いてみたところ、屋根の修理をしてるそうです。95年振りの修理かな?

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治2年(1869)己巳建立 150年以上経つけれど、劣化の少ない狛犬さんです。)

本堂向拝

大師様 昭和三年本堂修繕記念碑
天神様 石仏など