天津神社

千葉市花見川区花島町346 (平成22年6月21日)

東経140度6分17.11秒、北緯35度40分48.63秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
印旛沼の放水路でもある花見川の上流部にある花島公園の東側にある鎌倉時代の開山とされる天福寺(花島観音)の境内にあります。
(印旛沼が放水する時は警報が鳴りますのでお花見中でも川辺から避難して下さい。)
宗教法人、花嶋山天福寺が管理している(神社庁名監には記載されていない)神社です。
天福寺入口の階段の途中に天津神社への参道入口があちます。が、階段を上りきり山門の新旧の狛犬に挨拶してから参道入口まで下がりました。

御祭神 天津神(あまつかみ)の何れかは不明。

実は平成15年4月6日に花見を兼ねて参拝しております。しかし当時は只漫然と神社を回っていただけのようです。撮り方は好い加減、編集も手抜きだらけで、お恥ずかしい限りです。今回1948さんより天津神社の報告を戴きましたので、リニューアルして登場のはこびとなりました。

花島山天福寺(てんぷくじ)は、千葉県千葉市花見川区にある真言宗豊山派の寺院。山号は花島山。本尊は十一面観音菩薩で、「花島観音」(はなしまかんのん)とも称される。
この寺は、寺伝によれば709年(和銅2 年)行基が刻んだ観音像を安置した観音堂に始まるとされ、この寺はその別当寺として建立されたものと見られている。その後、観音堂がこの寺に移されたようである。
ウィキペディアより。

どうも神社の由緒は良く分かりません。天福寺の鎮守社として創建されたようですが、良く明治の時分離させられずに済んだと思います。

天福寺入口

天福寺山門

山門前の岡崎型狛犬

岡崎の陰で遠慮しながら余生をおくる先代さん。


一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

やや下ぶくれ乍ら優雅な尻尾の江戸流れ。拡大写真はこちら。

(明治32年(1899)12月12日建立)

本殿を覆う鞘殿


出羽三山碑

秩父三十四番参拝記念

浅間神社等の石碑

十九夜講、子安講の石塔

天福寺観音堂

彫刻

木造十一面観音立像
この像は、33年目ごとに開扉(かいひ)される秘仏です。像高230p近い巨像で、一木を前後2材に割って内刳(うちぐ)りした割矧造(わりはぎづくり)とし、表面は素木(しらき)のままです。頭上面は失なわれていますが、面長な顔、がっしりした体躯(たいく)に宋朝風のひねりのある衣文(えもん)をあらわすなど鎌倉期の造像の特色をよく示しています。
胎内(たいない)に墨書で、建長(けんちょう)8年(1256)に仏師賢光(けんこう)が制作したことが記されておりますが、この仏師の作品は、印旛(いんば)村来福寺や印西(いんざい)町多聞院にもあり、仏師の作風の変化や活動範囲を知ることができます。
いまなお「花島観音(はなしまかんのん)」の名で親しまれているこの像は、観音信仰の歴史を知る上でも貴重な存在です。
千葉市教育委員会

天福寺本堂

不明


花見川に架かる花島橋より裏参道

花見川