秋葉神社

千葉市花見川区幕張町4-803 (平成21年9月2日)

東経140度03分29.27秒、北緯35度39分28.47秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成幕張駅の前にあります。すぐ近くにJRの幕張駅もあります。これらの駅は(総武線,京成線dewa)幕張新都心に一番近い駅です。しかし駅前にはバスターミナルが無く、これらの神社です。新都心へは隣の幕張本郷駅からボルボの連接バス等が出ています。ここはJR総武線普通、快速及び京成線の3複線,おまけに駅が近く電車はゆっくり動きますので開かずの踏み切りでした。工事中は子守神社へ仮住まいしていました。

秋葉神社由緒
祭神:火之迦具土大神
由来
建立は不詳。通称権現様。古来よりの地名に権現山、権現町と称し、親しまれた名残がある。享保年間に信仰の厚い氏子より土地を寄贈され、現在の地に移る。
江戸時代境内地に昆陽神社を据える。
千葉市美浜長作線の計画により一時同町、子守神社に鎮座。道路開通後、昆陽神社と供に新社殿を造営。平成十八年十一月、遷座。
境内由緒書より。原文はこちら。

神社遠景。立体交差のガード上に鎮座しているようです。手前が昆陽神社、向こう側が秋葉神社。

秋葉神社入り口

秋葉神社鳥居

平成生れの岡崎形狛犬

秋葉神社社殿

昆陽神社入り口。なぜか昆陽神社の鳥居の後ろは秋葉神社です。その右が昆陽神社です。ずれているのです。秋葉神社の鳥居の正面からは社殿は見えず信号機が見えます。かなり変わった神社です。(設計した人の顔が見たい)

昆陽神社由緒
祭神:青木昆陽
江戸時代の蘭学者、甘藷栽培の普及につとめた。
昆陽は八大(代?)将軍吉宗に使え、享保の大飢饉(1733〜34)の翌年、江戸小石川の薬草園に甘藷を栽培、数ヶ所で試作し、成功したのが馬加(幕張)村だった。その後、幕府により各地に甘藷栽培が広まる。以後、全国の何万人という人々を飢饉から救った。
由来
青木昆陽没後、天明の飢饉が起きた。甘藷栽培を始めて約四十年後のことで、馬加村ではこの大飢饉にもかかわらず、一人の餓死者も出さなかったといわれている。そして、昆陽は「芋神さま」として敬われ、弘化三年(1846)秋葉神社境内に祀られた。
《道を隔てた千葉市用地に「昆陽先生甘藷試作之地」碑が建つ》
境内由緒書より。原文はこちら。

昆陽神社社殿

「昆陽先生甘藷試作之地」の記念碑

神社の下。こういったガードの上に鎮座している神社は珍しいかも知れません。