瀧蔵(りゅうぞう)神社

千葉市中央区千葉寺町162 (平成22年5月16日)

東経140度8分6.8秒、北緯35度35分31.92秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
千葉寺町を貫通する地方道20号線(大網街道)沿いにある千葉寺境内の右奥に鎮座しています。

3年程前に一度行った神社なのだが、余り良い写真が撮れなかったので再度骨董市の日に合わせて参拝してみました。千葉寺の存在感が強いので、神社の存在に気が付いて無い人も多い様に感じられます。

御祭神 海津見神

御由緒 千葉家5守護神の一つ。

管理人の一言。
賽銭箱の紋が「月星紋」と「九曜紋」。この紋は北辰妙見菩薩を表していると云われています。現在の御祭神、海津見神は明治以降と思われます。

千葉寺(せんようじ)

縁起では、和銅2年(709)東国巡錫中(じゅんしゃくちゅう)の行基(ぎょうき)が池田郷の池で千葉(せんよう)の青蓮(せいれん)に霊を感じ、丈六(じょうろく)の十一面観音像を刻み、その話を聞かれた聖武天皇(しょうむてんのう)の勅命により堂舎を建立(こんりゅう)(東方約1qの観音塚と伝えられる)し、海上山歓喜院青蓮千葉寺(かいじょうさんかんぎいんしょうれんせんようじ)と称したという。永暦(えいりゃく)元年(1160)雷火で伽藍(がらん)を焼失し現在地に移転する。この頃より千葉氏の厚い信仰を受けるようになったと伝えられています。
 昭和25・27年の発掘調査で、旧寺の境内は70間(約126m)四方であったと推定され、奈良時代の瓦が出土したことから永暦以前にすでに大伽藍がここにあったと考えられる。現本堂は昭和51年落成であるが、仁王門(におうもん)・鐘楼(しょうろう)は文政11年(1828)の建築です。
 寺は真言宗で、十一面観音(じゅういちめんかんのん)を本尊とし、坂東(ばんどう)33ヶ所観音札所(ふだしょ)の第29番目で、巡礼者で賑(にぎわ)い、戻(もど)り鐘や千葉笑(ちばわらい)の奇習伝承を残し、境内には歴史上の記念碑も多く、本市の歴史上重要なところです。

この神社は千葉県神社庁公式サイトに記載されているので、千葉寺と別な宗教法人となっているようです。しかし塀があるわけでも無く、千葉寺の境内に鎮座しております。嘗て一体であった寺と神社が供に現存する場合、しばしば確執を抱えている所が多いのですが、ここは仲良く共存しているようにお見受けいたします。

平成24年1月6日、1948さんも初詣に行かれたようで、本殿彫刻の写真を送って戴きました。後に追加してあります。

神社入り口。鳥居は享和3年(1803)癸亥6月吉祥日建立。

右が千葉寺

参道の江戸流れ、明治生まれですがやや損傷が目立ちます。

(明治25年(1892)12月22日建立)

拝所

千葉氏の家紋「月星紋」と「九曜紋」が描かれた賽銭箱。

本殿

木鼻

側面

神額。「龍蔵神社」とあります。しかも御本尊修繕とあり、今でも妙見菩薩が祀られているのでしょうか。


青龍神社入り口

青龍神社 御神体?

三社新築記念碑

末社

富士山

浅間大伸と御嶽神社

弁財天

国光輝四海碑

骨董市。毎月第三日曜日は千葉寺骨董市の日で、この日は比較的参拝者も多いようです。


以下1948さんより戴いた、文と写真です。

千葉氏の守護神は、曽場鷹大明神、堀内牛頭天王、結城の神明、御達報の稲荷大明神、千葉寺の龍権なり。「千学集」

神社全景

向拝竜

小脇板、左・昇り龍 小脇板、右・降り龍
脇障子、左・牛若丸、天狗より巻物を伝授。 脇障子、右・天狗。

千葉寺本堂

龍蔵神社と同じく、千葉氏の家紋「月星紋」と「九曜紋」が描かれた賽銭箱。

千葉寺境内の大銀杏

御朱印