旭市萬歳2764 (平成23年4月2日)
東経140度38分45.32秒、北緯35度46分12.13秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
地方道74号線沿いにあり、県道266線とぶつかる丁字路より660mほど西側で、海側にあります。
神額に二つの神社名が並ぶ変わった神社です。案内板に架構の技法が優れ、特に社殿正面の蟇股は秀作であると書いてあるが、正面の蟇股が全然見えないのは残念である。
御祭神 倉稲魂尊、菅原道真
由緒
椿の海の干拓により移住してきた作佐部家(野手)と石毛家(諸徳寺)の氏神として祀られた稲生神社と、その後金親家の守護する天神様を合祀する。社殿は二間社の流れ造りで、棟に五本の勝男木と外削ぎの千木がつけられる。棟札によると 享保十四(一七二九)年に創建された。江戸後期に腰組を、昭和に茅葺から銅坂葺に、そして平成十八年に軸組、外壁を修理している。 架構の技法が優れ、特に社殿正面の蟇股は秀作である。
(以上 旭市教育委員会 案内板による)
ウイキぺディアによると、椿の海とは以下の事らしい。椿海(つばきのうみ)とは江戸時代まで下総国の香取・匝瑳・海上郡(現在の千葉県東庄町・旭市・匝瑳市)の境界付近にあった湖である。伝えられるところでは東西3里南北1里半(約51平方キロメートル)の大きさがあったと言われている。また、江戸時代初期に作成された『下総之国図』(船橋市西図書館所蔵)では、太田ノ胡水と表記されている。昔、この地に邪神が住む椿の大木があり、香取神宮がこれを東方の海中に椿の木ごと放逐したところ、その跡地に水が溜まって海になったという伝説がある。地質学的には、当時の玉浦の入り江が犬吠埼方面からの砂洲の形成によって出入り口を塞がれできた湖である。椿の海とは海ではなくて湖なんですね。
神社入り口
神額
手水舎
拝殿。隣の関戸神社と同様に、余り意匠の無い拝殿。
神額
本殿 | |
本殿木鼻
埋もれた石碑
石碑