雷神社

旭市見広1371 (平成23年7月18日)

東経140度42分0.82秒、北緯35度44分15.55秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
JR飯岡駅から北東に約2kmの鶴巻小学校から更に北に約300mで、道路沿いに一の鳥居が立っています。

茨城から再び千葉県内に戻って来たら、以前から気になっていた雷神社の看板が見えたので立ち寄ってみました。この神社は旭市見広の北総台地の上に鎮座していて、かっては南西側に椿の海が広がっていたので、この地に住んでいた人は、農業の他に漁業も営んでいたそうです。

御祭神 天穂日命・別雷命

由緒  雷神社のパンフレットによると、神社の創建は、当社縁起及び記念碑文等によれば、第十二景行の御世に、天皇の皇子日本武尊が東国地方を平定し、大和の国に帰る途中、伊勢の能褒野で崩御された。天皇は御子の日本武尊を追慕し、東征の跡を御巡幸なされたおり、椿の海の東端の高台  に立たれ、ここに東国鎮守として一社を創建(西暦一二三年)された。これが雷神社で、今から千九百年近く前のことである。神社がある一帯は要害山といわれ、隣地に見広城址があって、戦国時代には嶋田氏の居城となっていた。また、古来より雷神社への豪族の崇敬も篤く、千葉氏・源氏・嶋田氏、更には江戸時代の領主松平氏の代参も度々あった。氏子の範囲も地方豪族の栄枯盛衰とともに変遷があり、養和元年(一一八一:平安時代)千葉氏が神田を寄進し、干潟四十六郷の鎮守と称した。江戸時代より海上郡十三郷といわれる見広・大間手・倉橋・蛇園・清滝・岩井・幾世・松が谷・長尾・高生・後草(見広を含む)・琴田・江ヶ崎の総鎮守として尊崇されて今日に至っている。

境内由緒書はこちら。

中から見た一の鳥居

二の鳥居。清掃の行き届いた清々しい雰囲気の神社です。

参道

参道途中の岡崎型狛犬
(昭和18年(1943)6月建立)

拝殿

向拝 神額
向拝の龍と木鼻の狛犬

拝殿内部

本殿
左脇障子 右壁上部
年代不明の石灯篭 明治三十五年製石灯篭

境内のユリ

末社

津島大神

御神木と末社

田の神、社日

天王宮

御神木

御神幸祭奉賛御芳名

手水舎

力石