古戸稲荷神社

我孫子市古戸1 (令和5年3月5日)

東経140度05分43.70秒、北緯35度52分09.55秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
成田線湖北駅と新木駅の中間辺りにある湖北中から北に直線距離で300m程の位置にあります。我孫子市史によると外陣奥の左右の壁に狐の図の鏝絵があるらしいのだが、見落としてしまい失敗。見え難い位置にあったのかな?神社の鏝絵は初めてだ。伊勢講碑がやたら多い神社です。

御祭神 稲荷大神

由緒
天正七年(一五七九)七月七日古戸村産土として創建された。もと古戸村流作一二に鎮座したが、江戸時代になって阿曽新兵衛家の屋敷地に文化年間(一八〇四〜一八)に遷座したと伝える。なお、社地は天保の頃(一八三〇〜四四)社殿の周囲五間四方をのこして村の畑とすることが認められた。
鳥居は、慶応三年(一八六七)造立の石造明神鳥居である。明治の「神社明細帳」には、「社殿間数 間口弐間 奥行三間」とある。現社殿は、正面の柱間三間、側面の柱間二間の外陣部分に、後背の内陣部分が接続して造りたされており、外陣部分は入母屋造、鉄板葺である。
外陣の天井は格天井で、格間に家紋が描かれている。それについては、格間の墨書と柱に掛けた札の記銘に、出征軍人の凱旋を記念して明治三十九年二月に奉納したものと記されている。当時新築の社殿を飾って喜びを表したものであろう。また、外陣奥の左右の壁に狐の図の鏝絵がある。その壁は高さ一六四cm、幅一五四cmのかなり大きな壁面で、鏝絵は各種の色土を用いた力作であるが、残念ながら鏝絵師の名は知られていないようである。なお、社殿正面の左右の小壁にも、龍の図の鏝絵がみられる。
内障には、入母屋造、正面唐破風の向拝付、高床の社殿が納められ、身舎に祭神の神像が安置されている。祭神は、狐にのる老爺で右手に鎌、左手に稲束を持つ。この社殿と神像の造立年代は不明であるが、江戸時代にさかのぼるものであろう。
(「我孫子市史」より)

慶應三丁卯年製鳥居(古戸村氏子中)。鳥居の前方にも色々と石祠などがありました。

神額

参道

御神木

石祠

左が厳島神社かな?

慶應三卯二月製石祠 伊勢太々紀念
伊勢太々講中 伊勢太々講記念

狛犬と拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

石灯篭と拝殿

右石灯篭 狐のレリーフ
左石灯篭 明治二十年製左石灯篭

向拝

右龍の鏝絵

左龍の鏝絵

お店の鏝絵は見たことあるが、神社の鏝絵は初めてだ。意外に劣化してない。


導了大権現とは神奈川県南足柄市大雄町にある曹洞宗大雄山最乗寺の通称。 意富比大神宮(おおひだいじんぐう)とは通称船橋大神宮のこと。

古戸厳島神社。明治四十一年に厳島神社(古戸坂下783旧在)を遷座した。