馬頭神社

十和田市三本木中掫 (令和6年7月27日)

東経141度09分13.19秒、北緯40度35分38.62秒に鎮座。

この神社は、十和田市役所の西南西4.2km程の辺り、中掫の街中に鎮座しております。

御祭神、由緒等不明。

神社入口

神額

三の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和14年(1939)3月10日建立)

拝殿内部

本殿覆屋


千和田山の碑

南部盛岡藩士・新渡戸傳は三本木原開拓を決意し安政2年(1855)4月、開拓願書を藩に提出した。8月に許可され三本木新田御用掛となり工事に着手した。稲生川用水の掘削中は中掫の江渡屋忠兵衛宅が宿舎兼開拓事務所となり、矢神にも飯場が建てられた。
用水工事の技術者(現岩手県北上市)である吉助・力蔵・理作・理吉たちは経験から大地を切り開く工事の難しさを知り尽くしており、山の神の信仰者であった。また、花巻から三本木原開拓のために傳の供として当地に来た音蔵(乙蔵)は、江渡屋忠兵衛の婿養子となった。音蔵は稲生川上水成就は、「山の神・十和田山」のご加護によるものと考え、安政6年(1859)5月4日の上水成功後、8月にこの「十和田山の碑」を建立した。音蔵は翌年の万延元年(1860))7月17日、中掫で病死した。
境内解説はこちら。