斗賀神社

三戸郡南部町斗賀 (平成20年9月11日)

東経141度20分48.49秒、北緯40度26分58.71秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
この神社は青い森鉄道「剣吉駅」そばにあります。
青い森鉄道は東北新幹線の盛岡〜八戸間の開通によって、在来線盛岡〜八戸間のうち青森県内部分(八戸〜目時)をJR東日本より経営移管された鉄道です。
八戸〜目時は全部で7駅で、剣吉はちょうど中間の4駅目となります。ちなみに岩手県側はIGRいわて銀河鉄道というそうです。

境内に入って左には鐘撞堂があり、正面には立ち尾の牙をむき出した狛犬がいます。
裏には十和田神社の入口があり、ちょっとのぞいてみようと気軽に行ってみると、非常にキツイ山登りが待っており、大変だったことを覚えています。

御祭神:伊邪那美尊・月読尊・猿田彦命
例祭日:九月十七日

当神社は大同二年六月十七日将軍田村利仁勅旨を奉じ六條関白太政大臣藤原有家遺跡巡察に際し霊現山斗賀の里に当神社を創鎮せしものと伝う。明治六年四月二十日村社に列格、明治四十年三月四日幣帛供進神社として指定せらる。
昭和二十四年八月三十国有境内地四百坪壱合参勺を神社有地として譲與許可。昭和三十八年五月国道104号線を改設す。
其際社殿並社頭荒廃甚だしきを以って改修整備の工事を竣工す。
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口と一の鳥居

二の鳥居

国道104号線が二の鳥居と三の鳥居の間を通っており、しかも信号が無いため、渡るのに苦労しました。

拝殿と狛犬

牙をむき出した素朴な狛犬です。拡大写真はこちら。

(文政8年乙酉(1825)8月建立)

拝殿

手水鉢 天明元年の燈籠

四代八戸藩主南部広信公の寄進による撞鐘

十和田神社参道入り口

手水鉢。南祖丸生立の地、南祖丸産湯の池と由緒書。

十和田山神教記
十和田山南祖法師の由来については、関白藤原是実公御嫡男、是行公の子として奥州糠部郡斗賀村にて御誕生し南の地に先祖がある故幼名南祖丸と号した。
南祖丸は才智勝れ美童にて一字を学び十字を智る。一度聞いて忘れること更に無かったという。
南祖丸は、当時博学の和尚といわれた、七崎村の永福寺に弟子として手習学問を教わり、昼夜の勤勉に、十二才となった時は、すでに師に勝りしといわれた。その後南祖法師は、岩城の常福寺で寺僧となり、名僧と仰がれたが二年余にして修行の旅にでた。
十八才にて故郷を出て以来、六十余州をも修行の旅で過ごしたが、故郷へ帰り両親の御墓を拝し供養せんと志し、奥州斗賀村をさして下った。
修行の旅に出てから早や五十年の才月が過ぎ、体面は白髪壮年の六十八才になっていた。
その後、斗賀村十和田神社に宿り、生禅し、御告に従い、この十和田神社にワラジを結んで下山、錫杖を杖に十和田湖へと急いだと伝えられている。原文はこちら。

社殿

後、十和田湖の八郎太郎と戦い、これを破った伝説の南祖坊が、ここに祀られているようです。