八幡宮

三戸郡五戸町浅水70 (平成21年5月8日)

東経141度18分11.15秒、北緯40度28分24.8秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
場所は五戸町にあり、国道4号線と国道454号線の交差点を南下して、約1500m先の「浅水交差点」のすぐ先にある県道233号線に入ります。そこから約1500m先の右側にピンクの鳥居があります。
その鳥居はすぐ隣の家に食い込んでいました。神社は浅水城の内丸跡地にあります。そこに行くまでがまた大変で、コンクリートできれいに整備されてるとはいえ、道は坂道・・・。このあたりの神社は山の上にあるみたいで、行く神社行く神社みんな山の上でほんと大変でした。城跡案内図と説明はこちら。
残念ながら狛犬は現代型でしたが、境内から見える景色はなかなか気持ち良いものでした。

御祭神 応神天皇
例祭日 九月十五日

由緒
仁安元年 (一一六六) 九月創立。明治六年四月村社列格
甲斐の国加賀美次郎遠光が八幡大神を勧請し、三男光行も父と同じく八幡大神を奉じ、源頼朝が治承四年 (一一八〇) 石橋山で挙兵するやこれに従軍。祖先の守護神八幡大神を奉じて出陣し、大いに軍功をあげた。特に奥州藤原恭衛征伐には殊功を挙げるにより糠部五郡を賜わる。時に建久二年 (一一九一) 十二月なり。
この時家臣津島平次郎、石見入道をして産土神と仰ぐ八幡大神を、一時滝の沢に祀り、更に霊治を卜して浅水館に奉遷す。浅水館は、光行より二十二代南部大膳太夫政庸の三男南部遠江守長■が三戸城から移り住むところである。
青森県神社庁公式サイトより。

八幡宮由緒
祭神 応神天皇
祭日 旧九月十五日
当社は南遠江守長義公(南部二十二世政康公三男)が浅水に分封せられた時、南部家にて伝来崇敬していた八幡大明神を勧請したものである。
御神体は、京都石清水八幡宮から河上山城守宗次が奉納せし神鏡を奉受し、又弓矢を持ち馬に乗りたる尊像(天保四年栃内六兵衛作の木造)を共に奉戴す。
祭日には、浅水全村生業を休み、賑かに大祭を催し現在に至る。

往古当処は、修験道場として栄え、鎌倉期以前は、安部八幡であったと伝えられ、戦国時代には南氏の城郭としても使用された。弘化年中、五戸年行事は、多門院の配下にあり、別当は修験界蔵院であった。
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口

鳥居

社額と、隣の家に食い込んでいる鳥居

坂道の参道

境内入り口

狛犬と拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

(皇紀2601年支那事変記念武運長久祈願 昭和16年(1941)建立)

木鼻の狛犬

本殿

慶応の手水鉢

境内よりの景色