三嶽神社

三戸郡三戸町貝守林ノ後60 (令和6年8月1日)

東経141度09分43.05秒、北緯40度22分36.90秒に鎮座。

この神社は、三戸町役場の西8km程の辺り、林ノ後の街外れに鎮座しております。

御祭神 広国押武金日命

由緒
大同2年(807)、坂上田村麻呂により創建されたと伝わります。南部家29代重信が再建、神仏混淆時代には多くの修験者の霊地として繁栄を極めました。
青森県神社庁公式サイト より。

三嶽神社には正確なる古書記録なく、詳細を欠くが「貝守家の言伝え」「邦内郷村誌」によれば桓武天王の大同2年(808年)頃、坂上田村麻呂の開基と伝えられ、廣国押建金日命を祭祀すると云う。また蔵王権現を祀った年代は、村上天皇の頃(950年)と伝えられる。御冷泉天皇の御代(1060年)の頃、源義家東征の折、別当貝守孫作の案内にて当神社に戦勝を祈願し、神託を授り大勝したという。
南部家29代重信公によって、神嶽権現堂を再建敬信した記録が邦内郷村誌に明記されている。神佛混淆の時代には威徳院同行神嶽権現堂として、世の尊崇を受けたという。明治に至り、三嶽神社と改称され、村社として近郷近在を鎮守されている。
特に当神社と深い縁故がある貝守家は数百年に亘り、別当として奉仕した家柄である。或る時代には山伏となり、蔵王葛城山京都などを遍歴し、坊号、院号を許されている。郷に帰っては信仰を説き経済文化の導入に力を注ぎ、地域の安泰を祈って当神社を守護した足跡は、人々の等しく認めるところである。また神社の尊厳のために植えたと伝えられる杉の巨木は、稀にみる荘厳な神域を造成し、数次に亘る社殿の改築等に尽した実績は貝守家の誉れとして永遠に銘記するとともに、ここに名家としてその功労を顕彰するものである。
境内由緒書き より。

一の鳥居

参道

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正14年(1925)旧3月7日建立)

拝殿内部

本殿


境内社

石祠