白八幡宮

西津軽郡鯵ケ沢町本町69(平成22年9月6日)

東経140度12分32.16秒、北緯40度46分43.4秒に鎮座。

【狛犬情報・イキナリさんより】
 こんにちは。自分は個人的に民俗学の方から各地の神社探索をしている者です。狛犬が専門ではないのですが、撮ってくる写真に狛犬が増えるのでどうしても関心が出てきたりして、そちらのサイトを覗いてみたりしています。
 先日、青森県鯵ヶ沢の白八幡宮に行ったのですが、拝殿裏の本殿の中にちょっと見慣れない狛犬を見かけたのでこれはなんだろう、どういう由緒のものだろうと不思議に思いメールさせていただきました。
 これは一見すると狛犬というよりも狛グリフォン(苦笑)のような感じですが、ここの神社は北前船何かとも関連があるので、もしや類似のものが日本海沿岸な どにもあるのかもしれないと思ったりもしています。

 御祭神:誉田別尊、白鳥大明神、素盞鳴命、事代主命、菅原道真命
 祭礼日:八月十五日
 由緒:平域天皇の時代、 大同二年に坂上田村麿公が東夷征討の勅命によって鯵屋之澤に来られた時に、 蝦夷退転降伏祈願所として祠を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。 康元元年に最明寺時頼公が諸国行脚の折に再建したと伝えられる。 慶長八年に津軽為信公が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し鯵ケ沢総鎮守と定めた。 後、 寛永七年の津軽信牧公の参拝、 太刀一口の寄進に続き、 寛文六年には津軽信政公により本殿・拝殿・籠舎・鳥居をはじめ調度品四十三点を寄進された。 延宝五年より神輿渡御による大祭執行 (隔年ごと) を仰せ付けられ、 今日の大祭に続くことになる。 天和三年より年中祈祷の仰付があり、 特に御廻船海上安全御祈祷湯立神楽など五件の神事が執行された。 浪岡八幡宮・弘前八幡宮とともに津軽三八幡と称され、 為信公以後の諸藩主による参拝と寄進は大正十一年の義孝公まで続いた。
(「青森県の神社」より)

 白八幡宮大祭は300年以上の歴史がある祭りで、藩政時代に藩の御用港として栄えた当時の鰺ヶ沢の面影を残す古式ゆかしい伝統行事です。白八幡宮大祭の御神輿行列は町の無形文化財に指定されています。
現在この大祭は4年に一度開催されますが、昔は、弘前と鰺ヶ沢が隔年で交互に開催し、その後弘前で行われなくなり、鰺ヶ沢でも2年に一度から、4年に一度へと移り変わってきています。
白八幡宮大祭は、京都の時代まつりと祇園まつりにとてもよく似ていることから、「津軽の京まつり」と称され、それは北前船交易によって上方から運ばれてきた文化の影響を受けたものと考えられています。
 行列の中心をなす二柱の御神輿には、白鳥大明神と白八幡宮の二体の御神体が納められています。白鳥大明神はその昔、田中町の水屋浜というところにあり、御神体は海から上がってきたものといわれています。(現在は、白八幡宮に合祀)。
 行列には約300人が参加し、行列の後には鰺ヶ沢町の町内会の山車10台が付きます。行列の先頭から最後尾までは、約1キロの長さになります。
 また、祭りで鉄砲、槍、盾、弓奉持者などが着る華麗な衣装は、県内でも例がないくらい立派なものだといわれています。
(「鰺ヶ沢町公式サイト」より)

神社入り口に立つ一の台輪鳥居 社号標
「郷社白八幡宮」
参道途中に立つ二の両部鳥居
境内入り口と三の明神鳥居
境内の様子と妻入りの拝殿
拝殿内の様子
町指定文化財・玉垣群
本殿前にいる文化14年生まれの出雲丹後狛犬
イキナリさんのご推察通りこの狛犬達は北前船により出雲地方から運ばれてきました。来待石でできた出雲丹後としてはとても長寿な方ですが、剥落や風化が激しく顔つきも余り判別できなくなっています。阿吽の位置が反対のこの狛犬達は、阿が子狛を右前足外側脇に置いていること、吽が右前足の上に大きな玉を持っていることで、非常に珍しい組み合わせの貴重品と思われます。(私の記憶が間違っていなければ、吽の様な砲丸投げポーズの狛犬は数例、阿が子狛を右前足外側脇に置いているのは初めて見た様な気がします。)狛犬ファンとしてはこれ以上の剥落を防ぐ何らかの手当をしてくださることをお願いしたいですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化14年(1817)丁丑3月建立)
本殿と妻彫刻
町指定文化財・常灯碑
町指定文化財・比羅夫石
町指定文化財・絵馬群が
納められていると思われる宝物庫
境内社
鰺ヶ沢港の様子