稲荷神社

西津軽郡鰺ヶ沢町芦萢町響滝67 (令和6年7月15日)

東経140度14分01.38秒、北緯40度41分56.14秒に鎮座。

この神社は、JR五能線・鰺ヶ沢駅の南7km程の辺り、響滝の街外れに鎮座しております。

御祭神 宇賀乃御魂神

由緒
万治年中(1658〜61)豊澤家が再建。以来村中が護持管理して五穀豊穣家内安泰祈願をするようになって、明治39年(1906)4月に謹請現在に至っております。稲荷神社の大祭は毎年、春の祈年祭(4月28日)、夏の例大祭(7月28日)、秋の新嘗祭(10月28日)と祭典が齋行されます。
例大祭には、神主だけで舞う津軽独特の津軽神楽、天孫降臨に際し瓊々杵命を迎え奉り先導を勤めたが其の状を現した「宝剣乃舞」火遠理命が釣具を海中に失い、岩上にて嘆き悲しみつつあった時、綿津見神が海中より顕れ矛を以て藻を掻き別け釣具を発見し、綿津見の宮へ導く状の舞「磯浪乃舞」千歳を寿ぎ祝い奉りしものと伝えられ現在では武内宿禰の舞と謂われている「千歳乃舞」また吉凶を占い、五穀豊穣を祈る舞「湯立舞」が奉納されます。
芦萢の一番高い山頂に、明治初年から老婆達が信仰する稲荷神社の祠(ほこら)があって、昔から不動明王が出現すると村民から深く崇敬されていました。そのため元治2年(1865)6月建立された石の鳥居の標額には「不動宮」と記されており、又昭和2年(1927)1月4日には豊澤惣助、惣八、慶吉、三蔵らによって「不動明王出現の滝」という石碑が建立されました。元々は稲荷宮と不動宮が一緒になっていたのを、明治の神仏分離の際に稲荷宮となったと思われます。
元治2年(1865)6月(慶応元年)鳥居と一緒に狛犬一対も村中の人達によって奉納され、その時参道の石段も整備されて、一段目から境内まで段毎に奉納した有志の名を刻んだ小さな石塔が建てられています。
当時の参道は、中村川沿いの道から上がって来ていますので、お宮は、今とちょうど反対側を向いていました。この年はなにか特別に不動明王の御利益があったのでしょうか。
滝渕村は古い村です。貞享4年(1687)藩内田畑を一斉に調べた時の記録によりますと「ひびき滝」に三右衛門、孫兵衛、藤十郎、佐五衛門の4人が住んでいて、田3反余畑2町4反余りを耕作していたとあります。
このお宮で行われる「宮相撲」は有名で、津軽一円から力、技自慢が集って盛大に催されました。岩木山神社の相撲で負けた人は滝渕で仇を取る。ここで負けると米町神明宮で勝ってやると意気込んだそうです。
今は、静かなたたずまいですが、一昔前の神楽の日は近郷近在からの参詣者で大変な賑わいであったことを、後々の人々に語り継いでいきたいものです。
境内由緒書き より。

神社入口

鳥居

神額

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(慶応元年(1865)乙丑6月建立)

拝殿内部

本殿


石仏