田名部神社

むつ市田名部町(平成14年8月24日)

 この神社は江戸時代には下北半島の鎮守として、また、盛岡南部藩の崇敬社としておおいに隆盛していたそうです。

大鳥居

拝殿

御祭神 味租高比古根命
誉田別尊
大山祇神
例祭日 八月二十日
由 緒
 海辺総鎮守、北郡総鎮守、田名部大明神 当神社の創立年代は元和二年(一六一六)社殿記録等火災のため焼失し不明であるが、康永四年 (興国二年、 一三四一) の鰐口と年代不詳の古鏡が残されている。当神社の祭典は江戸末期まで田名部五千石の格式で執行されていた。「元和九年暢月吉日 別当丹後の棟札あり、味租高比古根命、社号示現太郎大明神と称す。本来関東宇都宮より万民守護のため宇曾利山へ御飛来候寄特の御宮にて、神領百石被行其時私先代小笠原丹後神主被候より私代まで十八代別当仕候。尤も神領百石は当国主へ被引上申候。寛永十九年五月、俗別当宮内治左門」、南部藩参考諸家系図によれば三十二代社司小笠原磐美の祖、勝盛は宮田と称し射術の達人で、南部二十九世重直公、八戸南部始祖直房公の御弓の師範であった。小笠原の子孫は代々当神社に奉仕している。
(青森県神社庁HPより)