恐山

むつ市田名部宇曽利山 (平成21年5月5日)

東経141度5分37.1秒、北緯41度19分28.2秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
今回は恐山です。一度行ってみたかったところなのですが、なかなか機会がとれず、今回ようやく行くことができました。そして驚いたことに意外にも5組も狛犬がいました。
広い無料駐車場に車を停め入り口を入ると、手前の建物はお土産屋さんです。小さい建物で入山料(500円)を払って、斜め後ろの山門から入ります。
なお、入山料を払う建物の隣にパラソルがありますが、ここでアイスを売っていました。その名も「合掌 霊場アイス」!! 変わったものがあるな、と思っているうちに写真をとり忘れたようです。残念!。
全体的に観光地の感が強いのですが、それでもおごそかな気持ちとなります。一見の価値はあると思います。

田名部海辺三十三観音巡礼
三十三番札所 恐山菩提寺
恐山は貞観四年(862)に天台宗の慈覚大師によって開山されたと伝えられる。康正二年(1456)蛎崎の乱の際に焼き払われ、いったん廃寺となるが、享禄三年(1530)に円通寺開山の宏智聚覚和尚が再興した。観音像はこちらの開山堂に安置され、中央の聖観音、十一面観音ともに円空作で、ナタ彫りという独特の技法で作仏されたものであり、巡礼の結願所としてふさわしい霊場である。
境内由緒書より。

恐山奥の院
地蔵菩薩は中心にして不動阿字の本体なり。若し衆生有って是の心を知らば決定して成就す。「仏説延命地蔵菩薩経」より。
右の一句は地蔵菩薩と不動明王の二而不二を意味し不動明王は地蔵菩薩の化身というのであります。それ故に当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、奥の院地蔵山不動明王、奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線上に奉納され三者が一体であることを意味しております。
当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし「蔵」は生命を生み出す母胎、母の心をあらわしております。人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と子の痛みを我が痛みとしてしかとうけとめてくれる母の心こそ地蔵菩薩そのものなのであります。
即ち、釈迦如来の附属を受けた本尊の慈悲心と一切の煩悩を打ち砕く確固たる不動心の現成が蓮華の花びらのような八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山・剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山そのものなのであります。
ご参拝の皆様には「釈迦地蔵不動一体義」の元、右の三聖地をお参りなされる事によって、当山参拝の結願が決定成就されるのであります。
霊場恐山 恐山菩提寺 原文と案内図はこちら。

恐山(おそれざん、おそれやま)は、下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。
恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。
寺名は恐山菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。本尊は延命地蔵菩薩。
開山は貞観4年(862年)。開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁。
円仁が唐に留学中、 夢で「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」という御告をうけた。 円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、 恐山にたどり着いたといわれる。
その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵尊を彫り、 本尊として安置したとされている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

管理人の一言。
高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つと言われるが、現在では一部の信者以外にはまったくの観光地。賽の河原、地獄谷、血の池等など、名前だけは結構オ ドロオドロしい名前がたんまりとある。かっては霊界への入り口であったのかも知れないが、現実の方が、殺伐とした現在では誰もこんな所を恐れはしなくなっ たのでしようか。

入り口

参道

山門

山門の額と仁王像

参道

参道途中の左右に謎の建物がありました。実はこれ、温泉なのです。参道右側は女湯、左側に男湯です。写真は男湯です。でも、参道途中に温泉なんて・・・??

手水舎

本尊安置、地蔵殿

眼下にあるのが地蔵殿です。遠くに宇曽利湖が見えます。

拝殿前の狛犬です。文久2年の作ですが、非常にきれいでした。石の材質のせいか、体や表情がぼやけてしまっており、残念です。

ちょっと難波っぽく見えますが、小ぶりな可愛い子のようです。拡大写真はこちら。

(文久2年(1862)6月24日建立)

こんなところにも現代型が。平成元年作です。

(平成元年(1989)5月5日建立)

不動尊参道入り口

地蔵殿の左脇を抜けて行くと、奥の院不動明王へと続く上り坂の参道へ出ます。 その参道入り口にも狛犬がいました。残念ながら日本産ではないですね。 年代は不明でした。

不動明王

なんと不動明王の両脇にも狛犬がいました。こんなの見たことがありません。またこの狛犬のすぐ後ろにも隠れるように1組の狛犬がいました。かなり磨耗しており、古いのか、新しいのかよくわかりませんでした。両者とも年代不明です。

奥の院を降りて右手の方へ行くと、地獄めぐりとなります。あちこちにお堂や、菩薩さま、お地蔵さんがいました。かなり硫黄のにおいがします。

大師堂 賽の河原八角堂

ところどころで小川のように水が流れていましたが、触って見ると、暖かいのです。一種の温泉ですね。写真は干上がった小川の跡と思われます。

宇曽利湖がとてもきれいでした。ただし、生き物の気配はまったくありませんでした。やはり水質のせいでしょうか。

湖に棲息する魚類はウグイ1種のみ。その他、ヤゴなどの水生昆虫、プランクトン、プラナリアが確認されている。また、流入河川(中性)の河口に近い湖底には数種の水草が繁茂しているが、湖の中心部にいくにつれてみられなくなる。
宇曽利湖に棲息するウグイ(宇曽利湖ウグイ)は、世界中の魚類の中で最も酸性度の強い湖に棲む魚類である。そのため、このウグイについて、これまでに地元の研究者や青森県立大湊高等学校、青森県立田名部高等学校、大学の研究者が調査研究を行ってきている。これらの研究より、宇曽利湖のウグイには他のウグイにはみられない特殊な塩基細胞がエラにあることや、中性の流入河川に遡上して産卵すること、成長するにつれ湖まで下がってくること、流出河川である正津川を下って海に出ないことなどがわかってきた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

ということで生物が全くいないという訳ではないようです。しかしウグイは激減しているようです。生き物の気配を感じられない位減ってしまったようです。