羽黒神社

黒石市浅瀬石清川136 (平成21年7月23日)

東経140度36分50.63秒、北緯40度37分41.2秒に鎮座。

この神社は、東北自動車道・黒石ICの北西1km程の辺り、浅瀬石(あせいし)小学校の北側に鎮座しております。

御祭神 倉稲魂命・誉田別命
例祭日 旧六月二日

由緒
延暦十三年(七九四)、坂上田村麿により勧請され、寛治七年(一〇九三)、八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、武運長久を祈ったと伝えられる。建長四年(一二五二)、初代浅石城主千徳行重が再興以来、千徳家代々厚い信仰を寄せ、しばしば御社殿を修築し、田村羽黒宮と尊称し、領内第一の大社として殷賑を極めた。しかし、慶長二年(一五九七)、浅石城落城と共に灰塵に帰したが、同四年、大浦為信により再建され、浅瀬石村の氏神と定められた。当時の鎮座地は、旧浅石城の寺社屋敷にあり、村落から離れていた為、宝永七年(一七一〇)現在地に奉遷された。明治三年、羽黒神社に改称、高賀野村八幡宮を合祀し、旧浅瀬石村の村社となった。
青森県神社庁公式サイトより。

神社入り口と社号標

注連縄

境内

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治19年(1886)11月2日建立)

拝殿

本殿

境内の末社

雄石・雌石の由来
その昔、浅瀬石城主千徳氏は栄華の限りを尽くし、その繁栄は、この地方の独特の文化と信仰の聖地を形成したといわれています。慶長二年(1597)、浅瀬石城が戦禍で灰燼にきした時、浅瀬石城本丸の中庭に大事に保管され、浅瀬石の産土神として崇め奉られておりました汗石が、ここに安置されている雄石・雌石だといわれております。
本来、浅瀬石の呼称は『汗石』だということが『汗石御領内社宮調上書』に記されており、それによりますと、現在の浅瀬川が汗石川であり、それが室町中期頃、名称が浅瀬石川に変えられたと言い伝えられております。落城の時、杳としてその行方がわからなかったのが今回(昭和62年より)浅瀬石羽黒神社造営工事の際、偶然に楓の根元から発見され、ここに再び世上の注目を浴びることとなりました。古よりの言い伝え通り、形体・風格は昔のままそのとおりといわれております。

土俵