天間舘神社

上北郡七戸町小田平41 (平成21年5月7日)

東経141度11分30.5秒、北緯40度44分9.1秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
七戸町小田平地区(旧天間林村)にあります。七戸町役場の東、約2.5kmのところです。

この神社は別名「こうもり神社」とも呼ばれ、神社の隣にはこうもり小舎があり、そこには希少種トウヨウヒナコウモリが繁殖しているそうです。もともとは神 社の屋根裏に住んでいたコウモリを退治する計画だったのを、自然保護の観点から隣に作った小舎に苦労して移住させたそうです。その引越しについての本も出 版されていました。(『コウモリたちのひっこし大計画』 谷本雄治著 ポプラ社)

中国ではコウモリは漢字で「蝙蝠」と書き(日本もですが)、末尾の「蝠」と「福」と発音が同じため縁起の良い動物とされています。この習慣が日本に入ってきたとき、蝙蝠の「蝠」が「福」と同じ「旁」をもっていることから、日本でも縁起の良い動物とされたようです。なお、蝙蝠に関しての説明書きはありましたが、肝心の神社の由緒書きはありませんでした。蝙蝠の説明書きはこちら。

御祭神 高龗神
例祭日 八月十九日
由緒
鎮座の年代詳ならず、里人は村名天間舘と呼び旧より祭るにより神名を負せたるなりと云う、北は天間と伝る村名ありて神社を後に建立し、村名に唱祀なるべし、此例他村に多くあり。天間舘村の伝承として「此村の西、北の側は蝦夷の巨壁の巣屈にして此辺を押領し、土人服せさるときは幻術を以て狂感す。因て国中大に恐怖せしかは南部の守この蝦夷を遂却せしと云う。土人この墟を後、天魔舘と呼ひ、終部落をなして一邑の名称とせしか、後魔の字を忌避けて間の字に換しなりと云う。或云当村に古来何の頃よりか天間明神と云ふ叢祀あり。舘その辺にありし故天間舘と呼なり。今に天間舘神社あり」と地名の由来を述べている。当天間舘村の坪には、古代のえぞ征討の伝承があり、坂上田村磨呂が「都母」を討った際に矢筈で石に「日本中央」と刻んだ坪の石文の所在の一つとされている。
青森県神社庁公式サイトより。

神社の由緒というより、地名の由来といった感じです。しかし、蝦夷を遂却せし墟を天魔舘とはよく言ったものです。蝦夷から見れば大和から来た坂上田村麿等が鬼や悪魔だった筈です。

神社入り口

参道と二の鳥居

超太目ですが、愛嬌のある狛犬です。拡大写真はこちら。

(昭和7年(1932)壬申7月19日建立)

拝殿

天女・龍・狛犬