不動明王

上北郡おいらせ町東下谷地 (平成21年9月24日)

東経141度26分8.7秒、北緯40度36分10.3秒に鎮座。

【神社情報・gamanさんより】
ここは本当はいちょうを見に行ったのですが、鳥居があったので神社だと思っていたら鳥居に不動明王と書いてあったので、お寺のようです。北上郡おいらせ町いちょう公園にあります。第二みちのく道路下田百石ICの東約1kmのところです。

現在では長寿日本一としておいらせ町のシンボルとなっています。推定樹齢1100年! だそうです。まさに御神木です。

お不動様の由来
慈覚大師奥州巡錫の砌秋の或る一日、根岸東端の小丘に来かかれり。旅の疲れと風景の佳なるとにより、其處なる石に腰かけて休息せり。伴に携え来たりし銀杏の杖を頬杖にして、うつらうつらと、しばしまどろみたり。夢の中に老翁あり。大師に呼びかけて願ふ。大師見るに異形の老翁なり。その所用を尋ぬるに、曰く我は阿光坊沼の主なり。大蛇なり。近来交通開け、沼日々に埋められ、せばまりて、我居住に苦しむ。願はくは老師の威徳により、我に安住の池を與えよと。大師即ち夢中に彼に告げて曰く、是より東方海岸に大なる沼あり、明神沼と称す。彼処に住めと、老翁喜んで去る。大師夢覚めたり。日漸く西に傾く。立たんとして見れば、杖何時の間にか根つきて地上に立てり。杖は銀杏の枝にして太き方を手にせるなれば、枝倒しまになりて根つけるなり。大師奇異の感あり。遂に一不動尊を刻し、此不動尊像を刻せる由を記して像を包み、根づける銀杏の木の根本に置き去れりと。
境内由緒書より。原文はこちら。

管理人の一言。
「入唐求法巡礼行記」で名高い慈覚大師円仁の足跡は関東以北に広く残されていますが、この地にも伝説を残しているようです。

目黒不動として知られる瀧泉寺や山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余、このほか北海道にも存在する。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

お寺より、大いちょうの方が有名なようです。

参道入り口

参道

樹齢日本一の大公孫樹

不動堂

木鼻の狛犬

裏手にある根岸堤と、対岸にある自由の女神です。ニューヨークと同緯度にあることからつくられたようです。